SERNYA
menu
close

2. ジャムの地に流れる時間

ラシャムジャ 著、星泉 訳
2-2-3-2. 祖父母の昔話

昔語りをするアムニとアイの午前の時間はなんとのんびりしていることか。年端も行かない幼い子たちにとっては、中庭で日向ぼっこをするアムニとアイは昔話の宝庫だ。二人がゆったりとした調子で孫たちに、先祖から語り継がれてきた昔話を話すと、青い空をゆっくりと進む午前中のお日さまもにっこり笑顔を浮かべて耳を傾ける。「むかしむかし……」と昔話を始めると、やんちゃな子供たちはあっという間におとなしくなる。アムニとアイの昔話の種類は多岐にわたる。それを宝庫にたとえれば、昔の宝のようにキラキラと輝きを放つ物語が実にたくさんある。子供たちの年齢や理解度に則した要望に合わせ、記憶の宝庫の中から昔話という宝石を一つ選び出してくるのだ。子供が幼くて言葉の理解力があまりない場合は、分かりやすいお話を選んで話すし、端折って話すこともある。昔話は、子供が自然環境やこの世界を最初に理解する手助けをする効果があるのだ。

例えば、数の数え方といえば、子供にしてみれば最初に学習するものだが、それを中庭でアムニやアイが「アチュ・チャチュ」という数え歌にして子供に教えることがある。

アチクチャチク サイの角はチク

アニチャニ ゾモのおっぱいは

アスムチャスム かまどの頭はスム

アジチャジ ヤギのおっぱいは

アンガチャンガ 指のきょうだいはンガ

アトゥクチャトゥク すばる星はトゥク

アドゥンチャドゥン 北斗七星はドゥン

アジェチャジェ 鹿の角はジェ

アグチャグ 羅刹の頭は

アチュチャチュ 雌犬のおっぱいはチュ

これをメロディーに乗せて歌うと、子供も真似をしてメロディーに乗せて歌い出す。このような数の教え方の中には、豊かなメッセージが含まれている。数を数えるだけでなく、この世界を構成する、野生動物や家畜、空の星、人間の身体名称、時間の表現、仏法の教えなどもついでに簡単に子供の耳に馴染むように覚えさせる働きがある。といってもそうした効能があることなど、当の祖父母は意識していないのだが。

子供たちが自然界のさまざまなものと出会って不思議に思う時期に合わせて、「アツァル・ツァルグ〔九つの不思議〕」「アメ・メグ〔ないもの九つ〕」などの歌を子供たちに教えることもある。「アツァル・ツァルグ」はこんな歌である。

この岩は積み上げる人もいないのにできあがってるなんて不思議だな

この川は連れて行く人もいないのに流れていくなんて不思議だな

この石には両親もいないのに増えるなんて不思議だな

この空は支える人もいないのに高くて不思議だな

この平原は伸す人もいないのに平らで不思議だな

この草は植える人もいないのに生えてくるなんて不思議だな

この雲は飛ばす人もいないのに空を飛ぶなんて不思議だな

この湖は水を溜める人もいないのに水が溜まっていて不思議だな

この火は燃やす人もいないのに燃えるなんて不思議だな

また、「アメ・メグ」はこんな歌だ。

頭の黒い人間にはしっぽがない

口の白い野ロバには轡がない

口の周りの黄色い野ヤクには鼻輪がない

賢い雄馬には角がない

白い毛の雌ヤクは上の歯がない

黒い蛇には脊髄がない

白黒模様のカササギには腎臓が一つしかない

空の鳥にはおっぱいがない

黒い犬にはかかとがない

また、「アチャク・チャクグ」〔九つのできたもの〕はこんな歌だ。

大地の上に石ができ

石の上に川が流れ

川の上に氷が張り

氷の上に馬がゆく

馬の上には鞍が置かれ

鞍の上には人が乗る

人の上には帽子が載り

帽子の上には飾りがある

飾りの上には空がある

「アキョク・キョクグ」〔九つの曲がってるもの〕は、

読経僧がもってる鉢の柄は曲がってる

在家行者がもってる太鼓のばちは曲がってる

羊飼いがもってるぬんちゃくは曲がってる

水汲みの人がもってるひしゃくの柄は曲がってる

薪拾いの人がもってる斧の柄は曲がってる

草刈りの人がもってる鎌の刃は曲がってる

寝ている犬の尻尾は曲がってる

「アカカグ」〔九つの難しいもの〕は、

熱いときにふいごを吹くのは難しい

砂地にテントを張るのは難しい

狐皮の帽子を被ってふいごを吹くのは難しい

靴を履いたまま氷の上を歩くのは難しい

ざるで水を運ぶのは難しい

赤い岩の真ん中めがけて矢を射るのは難しい

???【不明】は難しい

豪雨の中で搾乳するのは難しい

髭の生えている人がヨーグルトをすするのは難しい

「ツァイ・ツィグ」は、

白黒模様のカササギがジョロンをつけて花嫁のツァイツィツィ

頭の黄色い鳥が薬袋をもって医者のツァイツィツィ

黒くて小さいカラスが炭袋をかついで鍛冶屋のツァイツィツィ

白い水鳥の(ような)フェルトの衣を着た羊飼いがツァイツィツィ

茶色い水鳥の(ような)フェルトの衣を着たラマのツァイツィツィ

灰色の鳩が灰袋をかついで女中のツァイツィツィ

雌のテギャ鳥がレイヨウの皮を着てレイヨウ追いのツァイツィツィ

雌のテギャ鳥がステップを踏んで仔ヤク追いのツァイツィツィ

アツァク・ワツァクが弓矢を持って狩人のツァイツィツィ

このように、アムニとアイは自分たちが幼い頃にアムニとアイから聞いて覚えたことを孫たちに伝えていく。こうして長い間、口頭で伝承されてきたのだ。先祖代々伝えられてきた口頭伝承は、チベットの人々の世代から世代へと(伝えられてきたもので)、自然環境の中の植物、動物、地理などの原理や本質を理解する知恵であり、知識なのだ。口頭伝承は人間と環境の関係をめぐって深く考えさせ、他の生き物との共生すべきだという広い視野をもたらしてくれる。子供たちには幼い頃から周囲の自然環境を大切にしなくてはならないこと、植物や鳥、野生の肉食動物や草食動物と共生する必要があることを間接的に教えているのである。なんと豊かな知恵だろうか。さらに重要なのは、口頭伝承の語りが子供たちは成長段階に応じて語られることである。不思議に思わせるように語ることで知の扉を開く手法であり、さらには子供の想像力や、ユーモアたっぷりの楽しくおおらかな心を育むこともできるのだ。

少し年かさの子供たち、すなわちお話の意味を少し理解できるようになった孫たちには、展開のある物語を語る。語られるお話は、たとえ話や動物寓話、例えば「犬と小鳥のお話」とか、「賢い兎のお話」などたくさんのお話がある。さらに大きい子供たちには少し複雑な物語を語る。例えば「しかばねの物語」や、チベットのアチェ・ラモ八大戯曲に数えられる「法王ノルサン」「スーキ・ニマ」「ナンサ・ウンブム」「ドワ・サンモ」「ティメー・クンデン」「ペマ・ウンバル」「トゥンユーとトンドゥプ」「文成公主」などを語り聞かせることもあるが、さらにアムニがもし物知りな人物であれば、「ケサル王物語」などを語ることもあるだろう。アムニとアイのもとで物語を聞いていると、いつ日が傾いてきたのかもわからなくなる(ほどだ)。こうした昔話を語っているうちに、余生を過ごしている老夫婦に午後の時間がやってくる。

north