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2. ジャムの地に流れる時間

ラシャムジャ 著、星泉 訳

世界のあり方はすべて空間と時間と、それを認識する心が互いに影響を与えあうことで生じるダイナミズムにほかならない。空間に存在するあらゆるものは大小にかかわらず目で見て触れることができるものであるのに対し、時間は形も匂いも味もなく、触れることもできないもので、われわれにはとらえどころがないと感じられ、時間の前ではわれわれはいつも戸惑いを覚える。時間が前に進むのを止める方法はないのだ。それゆえに、人間は一瞬たりとも留まらずに進みゆく時間の流れに対し、年とか月、昼と夜、時間と分、秒など、長さを測ることのできるような基準を作る。その目的はまさにわれわれのコントロールできない時間を何とかして相対的に把握することであり、年や月といった基準はその現れなのである。

時間とは、空間を吹き抜けていく風のようなものだ。風が吹き渡るさまは目には見えないけれども、大地に根を生やした木の枝葉がさわさわと揺れたり、川や湖が波立ったり、土埃が目に入って痛みを感じたりして、風のやってきた足跡を見つけることができる。時間の流れもこれと同じことであって、人々の労働の段取りや生きるための努力、そして日常生活のあらゆる局面に、時間の通り過ぎたあとを見つけることができる。さらに努力して働くことを通じて、人々が時間という人間にはなすすべもないものに対して立ち向かってきた精神と知恵が自然と見えてくる。歳月のめぐる間に、昼夜が何度も入れ替わる間に、四季の移りゆく間に、人々はその時々に合う労働をすることで、とらえどころのない時間を、働くことによって実態あるものに変えてきたのだ。だから、(第1部で)ジャムの生活空間について語ったあとは、空間を流れる時間を順序立てて語ることは必須である。われわれが形のない時間を形あるものとしてはっきり見えるように、M村に暮らす人々の日常生活のあらゆる局面を順序立て、様々な労働と結びつけて語っていこう。

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