チベットの大地の成り立ちについて述べると、(まず)チベットの仏教史においては「コンのチュラクなる水桶が開いたため、あらゆる土地を浸していた水がそこへ流れ込んだ。他の水も(そこへ)流れ込んだため、チベットの大地の地貌が姿を現した」原注と書かれている。現代の地球科学の専門家たちの言説ともおおよその見解は一致しており、異なる点はといえば、現代の専門家たちの言説は実に詳しく、論理に則って包括的に述べていることだ。チベットの祖先たちの説明の仕方と、現代の専門研究者の総括の両面から、われわれが語るM村の土地の成り立ちとその環境について確信がもてるようにすればよいのだろう。さて、M村はチベット高原の東端に位置する山村である。今、人工衛星で宇宙空間から撮影した写真で見れば、われわれ(チベット人)の暮らすこの高原はまるで年寄りの顔そのもので、たくさんの皺が刻まれている。その皺は、地面が隆起した山並みであり、その山並みの間を、まるで汗が皺の間を伝っていくように、数々の川がこんこんと流れており、ところどころに水を豊かにたたえた湖も見える。ただ実際には、高いところからは老人の顔のように見えるこの高原は、まだ非常に若い高原であると言っても過言ではない。チベットのいくつかの文献にも説かれているように、太古の昔はこの(チベット高原の)大地は高原ではなく、豊かな水をたたえた海であった。海の中から隆起し、どんどん高くなり、徐々に世界の屋根と言われるまでになったと言われている。非常に若いという意味は、この高原が海からせり上がった時期がそれほど昔ではないことを示しているのであり、専門家によれば、2億4000万年ほど前、地球の外皮のような地殻構造プレートが動き、それらが互いに衝突して圧力が高まり、(その結果として)インドプレートが(徐々に)北上することとなった。そして(そのインドプレートが6500万年ほど前に)北の(ユーラシア)プレートと衝突した結果、チベット高原が初めて海上に姿を現したと言われている。この時期が地球上の他の大陸が海上に出現した時期と比べると遅いため、かくのごとく出現した大地を最も若い大地と呼ぶのである。
実際には、高いところから見下ろすと見えるこの若い大地の顔に刻まれた年寄りの皺は、われわれの文化においてはチベットの九神山という、(本来)無情でありながら神という有情性を与えられた山々や、その他の山々なのである。トゥンカル・リンポチェはこれについて「ボン教の伝承では、チベットの大地が最初にできたのと同時に生じ、チベットの守護者となった九柱の神がいると言われるが、この九柱の神とは、大父神オデクンギェル、その子息であるヤルラシャンポ、北方のニェンチェンタンラ、ガトゥ・チョオギョクチェン、東方のマチェンボムラ、チョオユギェル、キシュ・ショクラチュクポ、シェーカル・チョオタグー、ツァンのヌージンカンワサンポと伝えられる」と記している原注。これを現代の専門家たちがさらに詳しく、これらの高山地帯が海面から隆起した時期を明らかにしており、2億4千万年前に最初にインドプレートが(ユーラシア)プレートに衝突した際に崑崙山脈一帯が隆起し、それからさらに2億1千万年ほど(前)に地表の自身と衝突が原因となってチャンタン高原が隆起した。それから8千万年ほど(前に)、インドプレートがさらに激しく動き、北の大陸を圧迫したので、西のカイラス山と東のニェンチェンタンラ山脈がさらに隆起し、チベットの北方と南方の土地が徐々に海面から隆起していったのだという。地理学の専門家の言う通りであれば、現在のチベットの高原は一度に突然でき上がったのではなく、地表がゆっくりと動いたために、隆起する時期もずれていたのだという。現在でもまだ隆起は続いており、一年に七メートルほど高くなっているという。
地殻(構造)プレートが激しく衝突して、高山地帯が隆起したことと、またこの強烈な力がかかった後に時間をかけて揺り戻しが起きたことで、これらの高山地帯の間には谷ができ、谷からさらに広大な平原が形成された。外側の器たる大地の不思議な成り立ちによって、内側の中身たる生物はこうした多様な生態空間の中の谷間を住み処としてきたのである。そうした谷間は大地の皺の一つ一つと同じで、皺の内側はなだらかな地形の気候も穏やかな、生命が生まれ育ち、実るのにちょうどよい場所となっている。さらに重要な条件は、蒼天を突き刺すほどの高い山々の頂は常に真白き雪に覆われ、それが解けて雪解け水が低い土地の谷底へと常に流れ込んでいくことである。水は全ての生物にとってなくてはならない最も重要な基本要件の一つであり、それは命脈を保つ血液なのである。水があるからこそ生物が生じたのであり、その生物の中には人類もまた含まれるのである。人々は川の上流、中流、下流をそれぞれ住み処とし、徐々に人間社会ができ上がっていき、人間社会ができたために、人間同士の利害関係など(からなる)複雑な社会が形成されたのであり、そうした複雑さを解決し、すべてを調和をはかるために各種の社会規範ができ上がった。チベット語にはこのことを表現するチャプスィーという古語がある。われわれはこの語の中にも水の重要性を見てとることができる。というのもチャプとは水を意味する語であり、水があるゆえにあらゆるものがスィー(可能になる)という意味であるので、チベット民族が古より水に頼って暮らしてきた事情も見てとれるのである。いずれにせよ、今話題にしているM村もまた山々が開けた空間に形成されたのであり、谷底には青い川が常に下流に向かって流れている。われわれの目に映るM村の成り立ちはこの高地の大半の村によくある地勢と同じなのである。