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『チベット幻想奇譚』座談会@盂蘭盆亭

翻訳者一押し作品紹介!

司会:さて、それではそれぞれの翻訳者の方が訳された作品のうち、これが一押しという作品と、その読みどころを語ってください。

海老原:ではまず私から。「人殺し」の話は別の場所でけっこう話したので、この座談会では「カタカタカタ」をお薦めしようと思います。1年ほど前から、個人的興味でツェラン・トンドゥプの掌小説 (ショートショート) を読んで、いくつかの作品を翻訳したりしています。書かれた年代によってテーマの変遷などもあり、全体的に見ると面白いです。

これらの作品を訳している中でみつけた作品が「カタカタカタ」でした。目覚めてからずっと耳を悩ませるカタカタカタという音とともに、トラクターを運転して雪につっこんだり、自分の死体に雪をかけたり、ガソリンのついた外套を身につけたまま太陽に接近したり、荒唐無稽な幻影を次から次に見る、ナンセンスな展開が続き、最後はショートショート定番のオチがついてきます。

私が中学1, 2年生の頃にクラスで一時期流行った小説に太宰治の「トカトントン」という小説がありました。「トカトントン」という音が聞こえると、急にしらけてしまって、熱意が冷めてしまう、という悩みを抱える青年が、某作家にその悩みを打ち明けるという書簡文学です。中学生当時は、「音が聞こえるとやる気出なくなるんだって、ウケる〜 (実際にはその当時はまだ「ウケる」という表現は流行っていなかったが)」といった程度でしたが、「トカトントン」という音ではないにしても、やる気を失うスイッチみたいなものがずっとあるような気がして、今にいたるまで印象に残っている小説です。

ツェラン・トンドゥプの「カタカタカタ」の原題は、「あっ」というタイトルだったんですが、この「あっ」という音は作中で一回しか使われておらず (死体になった「私」が発する声として)、場面転換の際に現れる「カタカタカタ」という音のほうが印象的で、またその音が「トカトントン」を連想させたため、「カタカタカタ」のほうをタイトルにつけました。

司会:「カタカタカタ」って結構印象的なタイトルだったんですが、翻訳にあたってはそんなエピソードがあったんですね。原題が「あっ」の一言だったのも驚きです。三浦さんはいかがでしょう。

三浦:「一脚鬼カント」と「閻魔への訴え」についてはすでに述べたので、エ・ニマ・ツェリンの「犬になった男」について一言。

チベット仏教ではよくラマたちが「お前が膝に抱き上げている赤ん坊は前世のお前の敵だったかもしれない、お前が蹴とばしている犬は前世の母だったかもしれない。だから敵味方など区別するのは愚かなこと、すべての生き物に平等な慈愛の心を持ちなさい」みたいな説法をするんですけど、そのネタをうまく短篇化した感じですね。ラシャムジャの短篇「四十男の二十歳の恋」 (『路上の陽光』収録) なんて、おしゃれ~なフランス映画みたいで、チベット文学の新風を感じさせましたが、その一方で古い伝統文化を巧みに利用する作家もいるわけです。

星:私からは「ごみ」の話をしましょうか。この作品集の中で唯一舞台がラサの小説です。ごみ拾いを生業とする青年が主人公なんですけど、まず、ラサとごみという取り合わせが、意外ですよね。ラサは都会なんで、当然ごみも大量に出るわけですけど、仏教の聖地というイメージが強いので、ギャップにどきっとさせられます。

さらに意外なのは、ごみ拾いの青年は自分の仕事に誇りをもった爽やかな人物で、すごく生き生きとしているところですね。ここにもギャップがある。

彼は牧童のような賢さをもって、ごみの山から現金化できそうな価値のあるごみを探し出して漢人商人に売るんです。「ごみとは向こうの街の人間たちが見い出せなかった価値だ」というのが彼の持論で、すごく好感が持てます。

ところがある日、ごみの山の中に赤ちゃんを発見してしまい、混乱が始まります。彼は人間が人間を捨てるという事実に衝撃を受けながらも、いいやつなんで、赤ちゃんをどうにかしようと街を歩き回るんです。でも、そこには絶望しかない。前半の爽やかさからは一転、ぞっとする仕掛けになっている。ギャップを畳みかけていくようなうまい小説ですね。

作者のツェワン・ナムジャは、社会への鋭い批評眼を忍ばせて作品を書く人です。まだ30代前半と若い人なので、今後が楽しみです。 

『チベット幻想奇譚』第二弾は期待できる?

司会:本書が出版されたあとで、さまざまな著者から怪奇幻想小説が星さんのもとにおくられてきたという話をききましたが。

星:そうなんですよ。ツェラン・トンドゥプさんからは、ある男が一夜を過ごそうと立ち寄ったテントの中で起きた身震いするような出来事を描いた短編が届きました。緊迫感とユーモアの合わせ技がいい感じの作品でした。2022年4月17日脱稿と記されていたので、『チベット幻想奇譚』刊行記念の作品だと勝手に思ってます。

ゴメ・ツェラン・タシさんからも2022年4月1日に脱稿したという幽霊譚が届きまして、死んで幽霊になる主人公の死後の世界の旅路が二人称で語られていく作品だったんですけど、こちらも面白かったです。

それから、リクデン・ジャンツォさんからも中編小説が届きました。まだ読めてないんですけど、アニメーションにしたらいいんじゃないかなと思ってるそうです。

作家のみなさん、お題を言ってくれたら書くのに、と言わんばかりだったのでーーいや、多分に妄想なんですけどーー今後は新作を書き下ろしてもらってもいいんじゃないかと思っています。

司会:じゃ、ひょっとして今後『チベット幻想奇譚』の第二弾が出る可能性もあるんですね!

星:ご期待ください。

海老原:私のもとにもムラツツ (チベットの妖怪の名前) というペンネームの方から「空に飛んでいったヤク」という小説が送られてきました。

司会:ちなみにムラツツというのはどういう妖怪なんでしょうか?

海老原:一般的には、子供を誘惑して水場などに連れて行き、死に至らしめる怖い妖怪とされていますが、地域によっては、子供の遊び相手をしてくれるやさしい妖怪とも考えられているそうです。ラシャムジャの長編小説『雪を待つ』にもこの妖怪が登場しています。

大川:ムラツツ、そういえばセルニャの6号にも登場していましたね。

海老原:そうです、あのムラツツです。

『幻想奇譚』の翻訳者が披露する怪異な出来事

司会:皆様がチベット文化圏で遭遇した怪異なエピソードがありましたら是非披露してみてください。

三浦:昔、神降ろしのところにいって、話していることを録音しようとしたら、テープレコーダーが逆走しはじめて録音できなかったことがあります (まだ録音といったらテープレコーダーの時代でした)。

海老原:テープレコーダーが逆走って、ホラー映画に出てきそうですね。

三浦:海老原さんはないんですか? 怪異な出来事。

海老原:そうですねえ。東北チベット(アムド)滞在中は都市部で過ごすことが多くてあまりそういう体験はしてなかったんです。牧畜地域に通うようになってからも、そもそも牧畜地域に妖怪があまりいないらしく (笑)、怖い話はほとんど聞かなかったです。妖怪は農村に多いみたいですね。

インドのダラムサラで、とある民家に居候していたことがあるのですが、そこのお爺さんが鏡治療みたいな民間療法をしていて。体の各所に小さな鏡を当て悪いものを出す、といった治療ですが、聞いたことありますか?私もやってもらったんですが、服の中にも鏡を入れられるので、怪異とは別の意味で怖かったです。

三浦:え~、そんな治療法聞いたこともない。次回行ったら是非詳しく調べて来てください。

海老原:そのお爺さんもご存命かわからないですけど。ボン教の治療方法だったんだろうか。

三浦:鏡っていうのが実にボン教っぽいですよね。

星:私はお化けを見たりしたことはないですけど、山でぞっとするような思いをしたことがあります。一面緑の美しい山があって、チベット人と一緒に登り始めたんですね。最初は調子よく登ってたんですけど、ふと気づいたらあたり一面黒くなっているんですよ。さっきまであった緑はすっかり消えて、足元はじゃりじゃりした粘板岩。足を滑らせたらあっという間に滑落してしまいそうで、降りるに降りられず、必死で登り続けるしかありませんでした。

ようやく頂にたどりついて向こう側を見たら、やはり黒い世界が広がっていて、霧がかかっていて暗い。そして、眼を凝らすと、ヤクの頭蓋骨がごろごろと転がっているんですよ。ふと自分の手を見たら血が滲んでました。

こんなところで死にたくない……と思った瞬間です。なんであんなところに頭蓋骨が転がっていたのか、今でも不思議です。 

『チベット幻想奇譚』表紙絵の魅力を語る

司会:表紙は『月と金のシャングリラ』『ペルシャの幻術師』の漫画家、蔵西さんの華麗な絵柄で、本屋で見かけてもパッと目を引くんですが、このコラボはどのようにして実現したんでしょうか?

海老原:蔵西さんとはセルニャの表紙や、『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』(ツェワン・イェシェ・ペンバ著、星泉訳) の帯のイラストなどでもコラボしてきました。今回は、これまでの作品を気に入ってくださった編集者の堀さんのご提案によって実現しました。

蔵西さんは作品集全体を読んで、10通り以上のラフを描いてくださいまして、その中に、西チベットはグゲのいにしえの壁画をモチーフにした女性の絵があり、惹きつけられました。その女性の絵を少し中性的にしていただき、蔵西さんのアイディアで、手前の美しい人物に見とれていると後ろの鬼ともうっかり目が合ってしまうという趣向に仕上げていただきました。

三浦:裏表紙は私が大好きな「屍鬼物語」の絵で、屍鬼を背負った青年の後ろ姿が描かれているんですが、それがものすご~く細密で、いくら拡大してもさらに細かい細部が見えてくるというおそるべき絵なんです。

司会:今日はお暑い中、『チベット幻想奇譚』とチベットの妖怪にまつわる興味深い話をいろいろお聞かせくださいましてありがとうございました。日本ではお盆の季節に地獄の釜の蓋が開くといいますけど、チベットの妖怪たちもこの機会に日本につどつど遊びに来てくれるといいと思います。最後に当カフェの名物、吸血薔薇パフェを召し上がってお帰りになって下さい。

吸血薔薇パフェ
イラスト:GISMO
(2022年9月4日公開)
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