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『チベット幻想奇譚』座談会@盂蘭盆亭

『チベット幻想奇譚』の企画はどこから?

司会:今日は皆さま、お暑い中、夏カフェ盂蘭盆亭に足をお運びくださり、ありがとうございます。盂蘭盆亭では折々、古今東西の怪奇幻想小説をとりあげ、講演会+読書会を開催しております。

今回は今年の4月に出版された『チベット幻想奇譚』の翻訳者の方々、また冊子セルニャの編集部の方々をお呼びして、チベットの怪奇幻想小説の魅力についてたっぷり語っていただくことにしました。私は夏カフェの店長、法師畝美と申しまして、今回の司会進行役を務めさせていただきます。

チベットの現代小説を日本に紹介するにあたって、幻想奇譚という切り口をとったという点がなかなか斬新に思えるのですが、この本が出版されるに至った経緯について星さん、お話いただけるでしょうか?

星:セルニャ6号で「異界からの呼び声」という妖怪特集を組んだことがきっかけでした。ちょうどこの号が出たばかりの頃、もともと勉誠出版にいて、チベットの現代文学の編集を担当してくれていた堀郁夫さんが、春陽堂書店に転職したということで、2019年の4月に会いに来てくれたんですね。そのとき、また何かやりましょうと言っていただいたんです。

セルニャで妖怪特集を出して盛り上がっていたところだったので、お化けの話を集めた作品集とかどうでしょう、という話でまとまりました。そこでセルニャのメンバーに声をかけて、企画がスタートすることになりました。

三浦:もともとその特集を企画したのは私だったのです。タイトルもラブクラフトっぽく「異世界からの呼び声」にして。

そもそも日本でチベット文化に興味をもってくれるのはごく一部の人々にすぎない。ならばチベットに興味のない人でも手に取りたくなるような新たな切り口を考えるべきではないか。いざ特集を組んでみたら、いろいろなチベットのお化けや妖怪がチベット文化の地層の奥からにょろにょろ出てきて、けっこうおもしろいものが出来たと思ってます。

司会:最初から幻想奇譚のアンソロジーというわけではなくて、お化けの話を集めた作品集として始まったんですね?

星:そうです。お化けや妖怪の出てくる民話はたくさんあるし、そうした小説もきっと書かれているだろうと思って探し始めたのです。しかし、なかなかそうした作品は多くはなく、考え込んでしまいました。そこで、お化けや妖怪がキャラ化されて久しい日本とは何か違うところがあるのかもしれません。

一方で不思議な話や幻想的な話、マジックリアリズム的な作品で魅力的な作品がいろいろと書かれていることもわかりました。お化けの話というより「幻想奇譚」がふさわしいということでまとまったのです。

チベット人はお化けや妖怪をどうとらえているのか?

司会:チベット文化におけるお化け、妖怪の位置づけというのはどんなものなのでしょうか? 『チベット幻想奇譚』中の一編「一脚鬼カント」の出だしに「村の連中は日向ぼっこが大好きだ。それにもまして好きなのがお化け話を語ることだ」と爺様たちが日向ぼっこをしながら次世代の若者たちにお化け話を伝承していく様子が描写されていて、なかなか興味深かったです。

三浦:人とお化けの関係って、

という経緯をたどると思うんです。

日本は江戸時代にすでに③の段階に達しており、妖怪や亡霊を描いた浮世絵がたくさん創作され、一般の人々が愉しんでいます。今の日本の現状はというと、いろいろな地域で妖怪街おこしがはじまったり、妖怪博物館ができたりして、一見、妖怪文化が華やかなようにみえますが、実を言うとお化けたちが本来もっている原初のエネルギーがほとんど生活の中から失われてしまっているんですよね。

で、話をチベットに戻すと、チベットはまだ②の段階なんだと思うんです。なにか不吉なことが次々と起きるので、ラマなり、神降ろしなり、占い師のところに行って相談すると、それは××の祟りである、それを祓うには、これこれこういう法要を行いなさいとのお告げが下り、それによって日常が回復できる。

だからお化けや妖怪のことを調べてますなんてチベット人にいうと、おまえねー、そんなことやっているとお化けがやってきて祟ってくるぞ~なんて脅かされるんですよね。まだお化けがリアルな力を持っている。

星:チベットの人々にとってはお化けや妖怪がリアルで恐ろしい存在だというご紹介をいただきましたけど、民話を読んでいると、お化けや妖怪は怖いというより、むしろ可愛かったり情けなかったりするところもあり、人間に近い感じがします。お化け話には怖いものと面白いものがあるのかもしれませんね。そのあたりは「語り」という娯楽要素のある形式が関係しているように思います。

司会:お化けの話で子どもたちを怖がらせたり笑わせたりする素朴な娯楽はチベットにもあるわけですね。でも、その一歩先には行っていないと。

星:そうですね。日本のように妖怪ものがコンテンツ産業の一角を占めるような状況からはほど遠いのは、三浦さんのおっしゃる通りだと思います。文学のジャンルにすらなってないですよね。

三浦:西洋近代文学において、恐怖を愉しませる小説をはじめて著わしたのはエドガー・アラン・ポーだと言われてるんですけど、チベットに本格的な妖怪・お化け小説がでてくるのはこれからだと思います。まずチベット人がそうした存在を娯楽として受け止められるようにならないといけない。でも文字化されていない口頭伝承の世界はお化け話の宝庫なんで、文学という形に落とし込むのは難しくないと思うんです。チベット人自身、まだそのことに気づいてないんじゃないかな。

星:確かに、これから来そうですね。日本のアニメはチベットの若い人たち、大好きですよね。お化けや妖怪が小説の世界に持ち込まれて人気ジャンルになるのも、さほど遠くない未来にあるかもしれません。

岩田:訳者の三浦さんは、チベットの妖怪についての情報を熱心に集めていたそうですが、チベット人のお坊さんに妖怪のことを聞いても、そんなくだらないことを聞くなと言われると常々言っていたのが印象に残っています。今回の「一脚鬼カント」には、チベットの妖怪についての新たな発見はあったでしょうか。

三浦:チベットのお坊さんにお化けや妖怪について聞きづらいというのは、私が通訳としてチベット人のお坊さんと接することが多いという特殊事情があるからなんです。自分としてはありがた~い仏の教えを説く気まんまんなのに、なんでお前は些末な魑魅魍魎の話を聞きたがるのかと説教をくらうんですよね。逆に自分の師匠筋の高名なラマがおこした奇跡譚なら喜んで語ってくれるのですが。でもその昔、星実千代先生が日本にいたゲシェ―・テンパ・ギェンツェン先生からたくさんのお化け話を収集されたように、実はみなさん摩訶不思議な話をたくさんご存じなわけです。

星:ゲシェ―・テンパ・ギェンツェン先生も高名なお坊さんなのによく語ってくれましたよね。さすがに目立つところに名前は出さないでほしいとおっしゃったみたいですけど。

三浦:「一脚鬼カント」は村社会に次々と災厄が降りかかってきたとき、個人の責任を問うのではなく、カントという鬼の祟りとして、村全体で儀式をとりおこなってそれを祓い、共同体意識を高めることで平和な日常生活を回復させる。カントの妖怪物語というより、共同体の回復物語なのだと思います。それってすでに日本では失われたものですよね。

海老原:なるほど。そういう解釈ができるのですね。チベットと日本の比較の話が出たので、南米の話もしてもいいでしょうか。最近、南米の女性とご結婚されている日本人男性に興味深い話を聞いたので。その南米出身の奥様が子供の頃のことなんですが、犬の毛を飲み込んでしまったせいでひどい病気になり、それを治すために両脇腹を切って犬の毛を取り出したんだとかで。手術自体、大手術ですし、注射もたくさん打たれて、幼かったその奥様は泣きわめいて、その手術の後、やさしかった性格ががらっと変わってしまった、というエピソードでした。

この話を聞いた時に、『百年の孤独』に出てきそうな話だな、と心の中で思ってしまいました。犬の毛が本当に病気の原因なのか、そして、それを取り出すために脇腹を切る必要はあるのか、など頭の中はクエスチョンだらけになりますが、そんな民話かおとぎ話の中の出来事のようなことが日常的にまことしやかに語られている (そして、実際、行われている)。

われわれはチベットとのつきあいが長いので、気づきにくくなっているのですが、魔物と出会ったり、山神の子を産んだり、水神に供物を捧げたりと、チベット人の語りも、現実なのか物語なのかの境界があいまいになるような話が多くて。そして、小説にもそういうものが多くあることを作品探しの中で気づきました。

大川:面白いですね。そういえば作品集に収録されているペマ・ツェテンの「屍鬼物語・銃」については、伝統文学で存在していた「屍鬼物語」を下敷きにしているという点で、ちょっと他の作品とは毛色が違いますよね。でも現代文学として立派に成立していて、作品集の中で他の作品と並べられていても違和感がない(笑)。これってよく考えるとすごいことで、チベットの物語の伝統の中にこうした怪異譚の系譜みたいなものを見出すことができるかもしれません。まあ屍鬼物語はさらに遡ればインドのお話なんだけど。

それで思ったのですが、三浦さんは昔、死者が蘇ってお説教するお話、えっと、デーロクについて調べていたように記憶しているのですが、デーロクについてと、それから現代文学の作品にはデーロクに着想を得ているようなものがあると思うのですが、それらについてお話ししてくれませんか。

三浦:デーロクというのは文字通り、いったん死んで (デー) 戻って来た (ロク) 人のことですよね。死んで閻魔の裁きの場を、地獄におちた人々の苦しみを目の当たりにして蘇り、残りの人生、それを語りつつ、自分でも仏教の修行者として名を馳せていく。有名なのはチベット歌劇アチェ・ラモの『ナンサ・ウーブム』ですが、それ以外にもいくつもの有名な話があって「デーロク文学」呼んでもいいほど一分野を形成しているんです。『チベット幻想奇譚』のエ・ニマ・ツェリンの「閻魔への訴え」も、ツェラン・トンドゥプの「地獄堕ち」 (『黒狐の谷』勉誠出版に収録) もこうした地獄見聞記がネタになっているわけですね。

司会:『今昔物語』にも小野篁が、昼は朝廷、夜は閻魔庁につとめていたという摩訶不思議なエピソードが記されてますけど、それを彷彿させますよね。

三浦:ダライ・ラマ十三世とも深い親交のあった英国の政務官チャールズ・ベルはPeople of Tibet というチベット民族誌にこんなことを記してます。摩訶不思議な物語を語れる物乞いは実入りもいい。ポタラ宮殿の周囲をめぐる巡礼路リンコルで自分はデーロクなのだと主張する東チベットからの巡礼の老女にあったことがあるが、彼女は信仰心篤い人々から過分な布施をもらっていたと。そうしてみると当時からデーロクの存在はさほど珍しくなかったみたいですね。

ちなみにチャールズ・ベルはゾンビ (チベット語でロラン=起き上がった屍) のことにも触れていて、ゾンビはまっすぐにしか歩けず、石を投げても傷つけることはできない、ただしブーツを投げつければ斃すことができる。ゾンビに触れられた人はみな死ぬと信じられているので、チベット人はみなゾンビを恐がっているなんて書いてます。

司会:チベットにもゾンビ伝説があったんですね! まっすぐにしか歩けないって、ちょっとキョンシーっぽいですよね。

三浦:ベルがツァロンから聞いた話によると、雷嵐のさなかに死ぬと、遺体が不意におきあがったりすることがあるそうです。

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