E:星先生は毎日、通勤電車でiPhoneを使って翻訳されていたとラジオでもお話されていましたね。それから、Excelファイルで毎日翻訳された文字数をカウントして管理されていたと聞いて、私も真似してやってみました。短い小説なんですが、やっぱり視覚化されると、1時間で700文字くらい訳せるんだな、とか時間配分や目安になって捗りました。
星:それはよかったです。あのファイル、(東京外国語大学のインタビューを設定してくれた)広報担当者に見てみたいと言われたので送ったら、結構な大きさで掲載されてしまってびっくりしました(笑)。ゼロが並んでいるところがあるのもリアルですよね。忙しくて1文字も翻訳できなかった日が何日もあって。
E:翻訳を進める際に工夫していることはありますか?
蔵西:知りたい。
星:それは毎日やるだけですね。毎日やることでテンションがあがる、あがったままになるという。それと『白い鶴よ』に関しては、2年以内に出版しないといけない、という契約があったんです。これは本当に怖いことで、もし守れなかったら関係者のみなさんが困るんだからと自分に言い聞かせていました。
あとはやっているうちに楽しくなってくるというか、どんどん場面が切り替わるじゃないですか。章が短くてポンポン話題が切り替わっていくので、そこまでたどり着いたらもう終わりだ、明日は新しい章だな、と思うだけで先にいけましたね。
そういえば英語の世界が心底うらやましいとは思ったかな。英語はいくらでも調べることができますよね。チベット語だとそうはいきませんから。著者はいないので質問こそできなかったけれど、英語なのでインターネット上にリソースが転がっている。これは本当に助かりました。
W:翻訳で心折れそうな時ってありますか? すごく辛いな、と思う時など。
星:辛いというより、翻訳していてわからない時、著者が生きていたら質問できるのに、と残念には思っていました。
わからない時はとにかく調べて、最終的にわからなかった銃の名称などは、カナ表記にして出しました。他に悩んだこととしては、チベット語がそのまま英語風の表記で書かれていることでしたね。そういうのをどう処理するかはかなり悩みました。
W:なるほど。ありがとうございます。翻訳はエネルギーの要るお仕事なんだろうなと思っていたので、お伺いしてみました。
星:翻訳をしていると、ほんの少しでも普段の仕事から逃げられるのが、個人的にはよかったですね。翻訳をしている時間は楽しいので、ついついやりたくなる。だから翻訳が進むというわけです。蔵西さんはまさに漫画を書くことがお仕事だから、逃げたりできないと思うんですが、私は翻訳を逃げ場にしていました。そこは何か生み出す人とは違う、気楽なところかもしれませんね。
蔵西:先生、すごくお忙しいと思いますし、頭の切り替えが大変だと思うんですけど、通勤電車の中ということで切り替えられたんですか? 信じられない、と思って。電車に乗ってるとぼーっとしちゃったりすると思うし。
星:ずっと続けているとやってない方が変な感じがしてくるというのもありました。あと幸運なことに、というのもおかしいんですが、ちょうど足を骨折したので通院してたんですよ。それで病院の長い待ち時間があって、この時間は翻訳に専念できる、ラッキーと思っていました。
W:先程のお話で、「楽しいから翻訳できる」とおっしゃっていましたね。翻訳の楽しさってどんなところにあるのでしょうか?
星:何かに近づいていく、迫っていく時の感覚が好きなんですよ。その感覚と翻訳をするというのは重なるので、そこが楽しいのかもしれません。
W:何かに迫っていく感覚。
星:自分でいいなあと思うものに近づいていって、迫っていく時の感覚ですね。そこで迫るためにあれこれ工夫をするのは楽しい作業です。
W:楽しい作業だったということですが、すごく大変なお仕事だったのかなと思います。なぜそんなに頑張れるんだろうなあというのが、素人目線からありまして。
星:それは何といっても作品が素晴らしかったからですね。それだけです、本当に。どうしても世に出したほうがいいと思ったので。
翻訳の楽しさについて主にお話しましたが、裏取りはかなり大変でした。歴史大河小説ということで扱っている事象も幅広く、調べまくりました。
それから、これは私のやり方が悪いんですが、再校まで進んだところでかなり大きな訳し漏れが発覚したのが、なかなかきつかったですね。いろいろなやり方で原文と訳文の突き合わせをやりました。実験的にやってみてよかったのは、原文をパソコンに自動で読み上げさせて訳文と突き合わせるやり方です。これで誤訳を何箇所か見つけました。私はダニエルという声が気に入ったので、最後まで彼に助けてもらいました。もはや同志(笑)
蔵西:しかし、この『白い鶴よ』の衝撃はすごいですね。
星:内容が政治にも踏み込んだものだし、かなり突っ込んだ描き方をしてますし、正直、翻訳して大丈夫だろうかと自問自答したことはありました。結果として、人間の尊厳という普遍的かつ大事なテーマを伝えてくれている本ですし、読者のみなさんにも著者のメッセージが伝わっているのを感じるので、思い切って翻訳してよかったと思ってます。
蔵西:星先生、次の訳書とかご予定はあるんですか?
星:ええ、いくつか企画があって、ぼちぼち翻訳を進めています。
蔵西:へえー! これからも訳書楽しみにしています。
W:星先生からこうして翻訳の裏話がお伺いできるの、すごく興味深いです。ありがとうございます。
蔵西先生は『月と金のシャングリラ』を描かれて、いかがでしたか?
蔵西:描きたくて仕方なくて、思う存分、今できる限界まで妥協せず描き切ったと思っています。人生で何回もできない経験をさせてもらえて幸福です。連載中いつも締め切りぎりぎりで編集さんたちに申し訳ないと思いつつ、わがままを通してしまいました。もうきっと私、こんなのは描けないと思っているくらいです。
一同:すばらしい。
W:その「描かなきゃ!」みたいな気持ちはどこから湧いてくるのですか? 何に突き動かされているんでしょうか?
蔵西:それがね、わからないから描いているところがあって。とにかく漫画を描き始めた時もそうだったんですけど、描かねばならぬ、描くんだって気持ちだけで突き進んでいて。もう理由もよくわからない。チベットを好きになった時も同じような感じで、とにかく好きなんだー!という気持ちで支配されているし、いつの間にかチベット行っているし、描いているし。皆さんはどうなんです?
W:以前、海老原先生が『アムド・チベット語文法』の刊行記念イベントで、「なんでチベットなの?って聞かれるけど、あんまり気軽に聞かないでほしい」とおっしゃっていて全く同感だなと思った記憶があります。理由が明確にないんですよね。って今回、蔵西先生にお尋ねしてしまってますけど。
蔵西:でも編集さんの中にはそれを言語化することを求める人がいるんです。「なんで好きなのか、どういう点が魅力的なのか、私を説得してみて下さい」って!
だから理屈をこねてそれなりに言語化することはできるようにはなったんですけど、それが本当かどうかは私もわからない。
W:自分でもわからない、言葉にできないものがあるからそれが逆にエネルギーになっている感じでしょうか。
蔵西:そうですかね。うん。もう描きたくてしょうがなくて描いてるので。チベットのあの人たちのこの場面を描くんだ、あの風景を描くんだ、というような気持ちに突き動かされています。
W:こういうお話がお伺いできて嬉しいです。
E:蔵西さん、これから描きたいものはありますか?
蔵西:描きたいもの、いっぱいあります。チベット三部作構想あります。星先生からの最初の依頼で描いたガル大臣とかの古代チベットや現代チベット。特にガル大臣とソンツェン・ガンポ王のバディもの、ブロマンス的な話を描きたいです。萌えません?
E:壮大ですね!
蔵西:二人の強い絆とか。考えただけでときめきます。
あとツェラン・トンドゥプさんの「美僧」(『黒狐の谷』所収)のような原作ものとか。
この間は『白い鶴よ』を漫画化、みたいな話も一瞬ありましたよね。でもそれはすごく難しそうなので、やるのなら相当がっつり取り組まないとダメだし。描きたいものはいっぱいありますがとりあえず今は目の前の仕事があるので、それをまずやります。
E:先ほど、各キャラクターの一生のストーリーがもう頭の中にあるというお話をされていました(内容編参照)。前作の『流転のテルマ』の登場人物と、今回の登場人物と親族関係があったり、蔵西さんの頭の中でストーリーがどんどん繋がっていってるんですね。
蔵西 :『月と金のシャングリラ』の連載の前に、コミティアで『流転のテルマ』の前日譚の漫画を出したんですけど、その時はまだ『シャングリラ』の連載ができるとは思っていなかったので、これをずっと描こうと思いましたが、連載が始まっちゃって。
E:今後もいろんなストーリーが読めるかと思うと、楽しみです。
蔵西:ありがとうございます。
E:最後に、両作品に出てくる「白い鶴よ」の詩について触れておきたいと思います。
『白い鶴よ』のタイトルは、ダライ・ラマ6世が北京に送られる道中で恋人に送ったとされる詩の一節からとられていますね。(『白い鶴よ』の冒頭にも引用されている「白い鶴よ 翼を貸しておくれ 遠くには行かない リタンを巡って帰るから」)
『白い鶴よ』を読み終えて、タイトルのもとになっているこの詩の内容につながり、そうだったのか、という気持ちになりました。
実はこの詩、『月と金のシャングリラ』第1巻でも引用されていますね(39頁)。ダワたちが僧院に帰る道すがら歌っていました。
物理的に離れてしまっていても、相手の幸せを思いつづける。それでも、心はつながっている。そんな彼らの運命を暗示しているようにも読めました。「白い鶴よ」の詩がうまく活かされているのも両作品の共通点と言えますね。
本日はお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。