日本には、「煙草は魔物が人間世界にもたらしたものである」という言い伝えがあるそうだ。私は日本人に対する偏見はないが、この世に魔物などというものは存在しないし、これからもいないであろうことを考えると、この言い伝えは根拠のないでたらめに過ぎない。一方で、娯楽であり賭博でもある麻雀をツェジョンの地に最初にもたらしたのは、役所を首になった元役人だ。その男、初めてツェジョン村に流れてきたときにはまっとうなズボンすら履いていない有様だったのだが、なぜか緑と白のプラスチック製の新品の麻雀牌を携えていた。おまけに、この麻雀牌はトルコ石と象牙を組み合わせてできているなどと吹聴した。ツェジョンの村人ときたら「知り合いは母親のみ、勝手知ったるはかまどのみ」という諺を地で行くような連中ばかりなので、すっかりその言葉を鵜呑みにしてしまった。ある金持ちにいたっては「それなら、これには、ヤクや羊何十頭分もの価値があるはずだな」と訊ねる始末。元役人はすかさず「トルコ石の首飾りはゾとヤク何頭分になる? 象牙の数珠は雄羊何頭分になると思ってるんだ?」と切り返した。
「正直に言ってくれ。ヤクと羊何頭分払えばいいんだ?」と金持ちはしつこく訊ねたが、「悪いがまだ売るつもりはなくてね」という返事が返ってくるばかりであった。
この男、牧畜民でも軍人でもなく、そもそも今では役人ですらないのだが、ツェジョン村の人々は敬意をこめていまだに「お役人さま」と呼んでいた。「お役人さま」は自分と同じように仕事のない若者を数人集めて麻雀のやり方を教え、時には煙草の一本も配ったので、味気ない生活を送っていた牧畜民たちは大喜びした。そして、「お役人さま」と寝食をともにするようになり、すぐさま麻雀の打ち方を覚えてしまった。「お役人さま」は賭け麻雀の手ほどきまでしたので、若者たちはさらに興味をもつようになった。こうして「お役人さま」は、賭け麻雀で牧畜民の手中にあるお金を根こそぎかっさらっただけでなく、懐に入っている煙管、はては着ている皮ごろもまでも奪うことに成功したのである。「お役人さま」は現役の役人たちに情け容赦なく身ぐるみはがされて、役所を追い出されたことを恨みに思っていた。そのせいか、自身でも牧畜民たちから遠慮なくむしりとり、挙句のはてには「おい、男なら嫁さんでも賭けてみろ。それぐらいの気概を見せてみやがれ」とけしかけたのである。
妻を賭ける者はさすがにいなかったが、ヤクと羊を賭けてすっからかんになった者たちはいた。彼らが万策尽きて泣きついてきたり、凄んでみせたりしても、「お役人さま」は鼻でせせら笑いながら、「ふん。賭けをしないのは勝手だが、負けた分は支払ってくれないとな。賭けに負けて金を払わなかったら何年刑務所に入れられるか分かっているのか?」と言い放った。
ツェジョン村の牧畜民たちは、法律には通じていなくても、それが恐ろしいものであることは重々承知していたので、こうなっては妻を賭けるしかないという状況にまで追い詰められた。そこで世事に長けた老人は慌てふためいて、麻雀という魔物をお祓いしてもらえないかと、化身ラマであるアラク・ドンのもとを訪れたものの、驚きあきれ、ただ顔を見合わせて、何もできずに戻ってくるしかなかった。というのも、アラク・ドンは明妃やお付きのものたちとともに一心不乱に麻雀に興じており、村人たちが御前で膝まづいて首を長くして待っているのに気づきもしなかったからだ。
「アラク・ドンも麻雀を打たれているのなら、あれを魔物だなどと言っていいわけがない」
「そんなことを口にしたらわしらが罪深くなってしまうではないか」
「それもそうだな」
政府の指示を受け、われわれは、ツェジョン村の一部の家庭が経済的に困窮するようになった理由を調査するため現地に赴いた。その時、焚き上げ台のような正方形の低い土製の台をあちこちで目にした。それは、家畜追いたちが麻雀を打ったり、賭け事をしたりする台だった。しかし、最初に村に麻雀を広めた「お役人さま」はすでに、村人たちから奪った財産をもって村を後にしていた。そして、町で現役の役人らと賭けをしているところを公安に見つかり、逮捕されていた。以前にも一度、「お役人さま」がツェジョン村の財産を持って町に逃げてしまったことがあったという。だが、ほどなくして寒さと飢えに苦しめられ、ほうほうのていで村に舞い戻ってきた。その時、彼は、ぼろぼろになった手ぬぐいを腰にまきつけているだけだったのにもかかわらず、手には「トルコ石と象牙」の麻雀牌を五セットもっていたのでほどなくして金持ちになったそうだ。
われわれがツェジョン村の麻雀牌をすべて没収した時、ある老人が私の足にすがって泣きついてきた。「お役人さま。これはわしが雄羊を百頭差し出して買ったものなんだ。今、わしにはこの麻雀牌しか財産がない。どうかご勘弁を」それを目にした私の心には、憐れみと悲しみ、そして怒りがないまぜとなって湧き起こったのだった。
以前からチベットの特に牧畜地域において、麻雀で賭けをしてトラブルになることが問題視されており、そのトラブルは現在でも起こりつづけている。賭け事で身を持ち崩した男の話は同じくツェラン・トンドゥプの短編小説「鼻輪」(『黒狐の谷』所収)でも扱われている。麻雀という魅力的で危険な外来文化がどのようにチベットの村にもたらされたか、この「麻雀」という小説の中ではその経緯が語られている。小説自体は創作ではあるものの、部分的にはチベットの村々で実際に起こった事柄をもとにしているそうである。
ちなみに、冒頭で言及されている「日本の言い伝え」とは、芥川龍之介の小説「煙草と悪魔」にもとづくものと思われる。ツェラン・トンドゥプと芥川作品の出会いについては、『SERNYA チベット文学と映画制作の現在』第2号掲載のエッセーでも詳しく述べられているが、最初に読んだ芥川作品が、「鼻」、「蜘蛛の糸」、そして、「煙草と悪魔」だったそうだ。ただし、「煙草と悪魔」の「悪魔」とは、宣教師フランシスコ・ザビエルをたとえたものであり、ツェラン・トンドゥプが考えるような想像上の魔物のことではないのではあるが。
1961年、チベット・アムド地方ソクゾン(中国青海省黄南チベット族自治州河南モンゴル族自治県)の牧畜民家庭に生まれる。祖先はチベット化したモンゴル人で、民族籍もモンゴル族。黄南民族師範学校を卒業後、1983年に短編小説「タシの結婚」(未邦訳)で作家デビュー。青海民族学院、西北民族学院で文学について学んだ後、1986年に故郷に戻り、司法局に勤務しながら創作活動を続ける。その後、県誌編纂所に異動し、県の十年鑑の編纂業務に従事するかたわら数多くの小説を発表する。県誌編纂所所長、档案局局長を経て退職、現在は創作に専念している。チベットの現代文学を代表する作家の一人。作品は様々な言語に翻訳され、国際的にも名高い。代表作に長編小説『赤い嵐』、『僕の二人の父さん』(いずれも未邦訳)など。好きな作家として、ゴーゴリやチェーホフ、カフカや芥川龍之介などを挙げる。邦訳書に『黒狐の谷』(海老原志穂・大川謙作・星泉・三浦順子訳、勉誠出版)がある。