SERNYA
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鏡の中の蝶

タバ

星泉 訳

雨が降っている。

カムミニャク・ラガンの地では、雨が降りしきっている。

降りしきる雨を、茶館の窓越しに眺めていると、雨筋はまるで天から地へとまっすぐに引かれた絹糸か、はたまた真珠の数珠のように見える。

そのさまを眺めていると、雨の美しさとひんやりとした感覚が同時に押し寄せてきて、それがなんとも心地よい。小説家は茶館の窓際の席に座って、雨に打たれる路上をじっと見つめている。初めのうち、ただ眺めていただけだったが、しばらくすると、なんと自分の体が路上に仰向けに横たわっているのが見えた。服も着ていないし靴も履いていない。空から落ちてくる雨筋の一つひとつがガラスの剣と化し、路上に横たわる自分の体にぐさぐさと突き刺さっていく。初めのうちは真っ赤な鮮血が傷口から流れていたが、血の色は緑色に変わっていき、はては色を失い、雨水と混じりあっていった。道には幾筋もの細い流れが蛇行しはじめる。その上を車が走り抜けて行くと、男の しかばね が虹のような光の筋となって車のボディに映る。たまに人が通ると、その屍はまるで凧のような形となってその人の頭の上でひらひらと揺れる。

小説家は思わずぞっとした。ぞっとせずにおられなかった。

私は死んだのか。路上に仰向けに横たわっていたあの屍は私なのか。まさかあの屍は私なのか。小説家は怖くなって頬をぴしゃりと叩いた。痛い。まだ痛いままだ。ということはまだ私はこの世の明るい方にいるのだな。そう悟って胸をなで下ろしたのもつかの間、しばらく物思いにふけっているうちに、小説家は再び、自分が本当は狂っているのではあるまいかと思えてきた。予感と不安が、全身から心臓になだれ込んでくる。心臓は波打ち、動悸がいつまでも止まらない。ああ、どうしよう。かの化身ラマ、ゼンカル・リンポチェがラガン僧院を訪れているというから、謁見しにいった方がいいだろうか。そうするしかあるまい。でも、リンポチェにこんな奇妙な体験を知られたらどうしよう。いや、それならそれで、自分に因果がめぐってきたとしても当然か。たとえ狂っていると言われても、それはまごうかたない事実なのだから。

小説家はとにかく落ち着こうと、お茶を口に含んだあと、声を上げて観音菩薩に祈りを捧げた。少し冷静になって見回すと、茶館の若い娘がおずおずと自分を見つめているではないか。顔がかあっと熱くなった。自分ではどうしようもないこの困った反応を何とか隠そうと、木製の椅子に腰かけたまま、真面目くさった顔で居住まいを正した。そして何事もなかったように、堂々として落ち着きのある、人生経験豊かな風を装って、たばこに火を点け、一服した。そして勇猛な獅子のごとく首をもたげ、茶館の壁を見つめてみたが、何ともばつが悪い。顔はいまだに火照 ほて っている。

向かいの壁には鏡がかかっている。そこに映っているのはうつろな顔に気だるげな目をした白髪の男の姿だ。苦しみと悲しみがないまぜになったような妙な感覚に襲われた。小説家は自分の醜悪な顔をじっと見つめていた。しばらくすると、あろうことか、うつろな顔が百の花びらをもつ一輪の蓮の花に変わったではないか。白い髪が一本、また一本と抜け落ち、鏡、いや空と一つに混じり合い、ほら貝の蝶になった。真っ白なほら貝の蝶は、蓮の花の上を嬉しそうにひらひらと舞っている。とそこへ、トルコ石の蝶が、おずおずと、はにかんだ様子で現れた。ひらりひらりと宙を舞っているその姿を目にして、ほら貝の蝶はときめいた。

「ドルマ、来てくれたのかい」ほら貝の蝶は嬉しくてたまらない。

「……」

「ドルマ、来てくれたんだね」

トルコ石の蝶は照れてどぎまぎした様子で、羽根を急にばたつかせたかと思うと、蓮の花の上を電光石火の勢いで飛び回ったり、羽根を開いたまま仰向けになって落下しそうになったりしている。

「ドルマ、ねえドルマ、危ない真似はやめておくれよ」ほら貝の蝶ははらはらしながら胸を痛めて言う。

するとドルマの顔にはたちまち笑顔が広がっていく。

それからというもの、ほら貝の蝶とトルコ石の蝶は仲良く連れ立ち、雪蓮花 せつれんか の園に行ったり、金梅草の園に行ったりするようになった。さらには蓮の花の園で舞ったあと、とある美しい花園で家庭をもった。

ところがあるとき、東の空に黒雲がわき起こった。そして風が吹き、黒い雲と風に続いて血の蝶が舞い込んできた。

その瞬間、小説家の心はたちまち千々に乱れ、悔恨の念が込み上げてきた。鏡には、醜い自分の顔だけが映っていた。

茶館は石造りの建物の二階にあり、大勢の客で賑わっている。くだんの若い娘が接客をしている。彼女は客一人ひとりに対応しつつも、小説家には格別に親密な笑顔を向けている。それに気づいた娘の母親は心中穏やかではなかった。あらまあ、この子ったら今日はどうしたのかしら。こんな姿は一度も見たことがない。ええ、一度たりとも。ああ。確かにうちの子は未婚だけど、万が一娘が白髪の年寄りと結婚しようものなら、不埒 ふらち な噂に呑み込まれてしまうに違いない。

そうだった。この茶館、名前こそ《カムの牧畜民の家》というが、意匠と内装はアムドの農家風で、そこに僧院の集会堂の雰囲気をつけ加えたつくりになっている。それゆえに小説家は店に入ってから、少しく居心地のよさを感じたのだ。今日は気分がいい。こんな気持ちになるのは実に久しぶりだ。

小説家の故郷はアムドの青海湖近くの牧畜村である。彼はかつて、カム地方にあるミニャク・ラガンの地について話を聞いたことがある。家々も、周囲にひろがる草原の風景も、そして草原に生え広がる草の植生も、彼の故郷とうり二つだという。それからというもの、ずっと訪れてみたいと思っていた。その地でしばらく過ごせば何か自分にとって益するものがありそうな気もした。そういうわけで、現地の暮らしを取材するためと称して、ばたばたと都会を出て、わざわざこの土地まで気晴らしにやってきたのだった。

茶館ははなはだ居心地がいい。お客の入りも悪くない。

彼は再び中国茶をすすった。茶館の若い娘がもってきた胡桃 くるみ をかじっているうちに心が落ち着いてきた。それから道の上に横たわっていた自分の姿を思い出し、こわごわと、でも駆り立てられるように、窓越しに外を見やった。相変わらず雨が降っている。

ミニャク・ラガンでは相変わらず雨が降りしきっている。しかし道をいくら凝視しても、見えるのは東へ西へとひた走る車ばかりで、一糸 いっし まとわぬ自分の体はどこにも見当たらない。少しほっとした小説家はため息をついた。ゆるぎのない 三宝 さんぼう よ、どうか私をお救いください。私の後ろ盾となってください。彼は眼を閉じて、三宝に一心に祈りを捧げた。

「お客さん、お茶をどうぞ」茶館の娘が小説家のそばにやってきて、にこやかな笑みを浮かべて茶碗にお湯を注ぎ足した。

「おお……ありがとう」小説家はびくっとして、うろたえてしまった。

「お客さん、具合でも悪いんですか?」娘は優しく声をかけた。

「どうしてわかるんだい?」小説家は思わず口走ってしまってから、後悔の念に駆られた。

「あたし……」娘は声を詰まらせた。

小説家は嘘をつくのが商売なので、この人生でもずいぶん嘘をついてきたが、この娘には数珠 じゅず つなぎに次から次へと嘘を重ねる気にはなれず、作り笑いを浮かべておし黙っていた。何だろう、この娘、どこかで見たことがあるような気がする。小説家がしばらく考え込んでいると、目の前に再びトルコ石の蝶が現れた。そうか、なんということだ。この茶館はあの美しい花園だったのか。この娘の名はもしやドルマなのでは。

娘は小説家のとなりの椅子に腰を下ろした。

最初は話の糸口がつかめなかったが、ほどなくして会話が弾み出し、話に花が咲いた。

母親はその様子を見て心中穏やかでなく、ゆっくりと娘の前の椅子に腰を下ろした。

ここにきてようやく小説家の心に余裕が出てきた。余裕が出てくると、心臓の先端が しらみ に噛まれたみたいにかゆくなってきた。徐々にそのかゆみが体毛の一本一本となって、そこから体の隅々まで入り込み、体内を駆け巡るので、何とか他のことを考えて気をそらすしかなかった。茶館の窓から外を見ると、雨は相変わらず降り続いている。道の上には再び、仰向けに横たわっている自分の体が現れた。心が体を支配し、暴れ回るので、気が狂いそうだった。小説家は気持ちがそれないように集中して、目の前にかかっている鏡に再び目をやった。

するとたちまち醜悪な自分の体が蓮の花に変わった。小説家の目と、小説家の肺臓と肝臓、そして小説家の心臓が、鏡の面と混じり合って鉄の蝶となった。鉄の蝶はトルコ石の蝶と一緒に花園をひらひら舞っていたが、ふいに風が吹き、トルコ石の蝶の羽根の色が徐々に衰えていった。とそのとき、鉄の蝶の目に、風に乗ってやってきた血の蝶が映った。鉄の蝶はその美しさの虜になってしまい、曰く言い難いさまざまな感情にとらわれていった。そのうちトルコ石の蝶の姿を見るも目障り、羽根音を聞くも耳障り、舞うのを見るも心障りになった。

ある日、鉄の蝶と血の蝶は花園で密会をした。それは血の蝶が鉄の蝶を籠絡 ろうらく するとどめの一撃となった。

「あなたのこと、一目見たときからずっと好きだったの。一緒によその花園に行きましょうよ」血の蝶が甘くささやいた。

「いやいや、私には妻がいるんだ」鉄の蝶は思わず言った。

「妻も雌しべも同じ。古いものを捨てない限り、新しいものは手に入らないわ」

「……」

血の蝶は品を作って鉄の蝶にくちづけをした。

「私を好きだというのか?」鉄の蝶は嬉しさと驚きで、思わずこう尋ねた。

血の蝶は妖艶 ようえん に羽根をひらひらとさせ、恥じらいながら「好きよ」と言ったかと思うと、花の咲き乱れる方へ飛んでいった。

その後、鉄の蝶と血の蝶は東方の大きな花園に向かって飛んでいき、一緒に暮らし始めた。トルコ石の蝶の色はすっかり褪せ、灰色に変わってしまった。そのころ鉄の蝶は、遠くに暮らすトルコ石の蝶のことを繰り返し語ったので血の蝶は腹を立てた。

「いまだにトルコ石の蝶のことが忘れられないのね。あんな蝶、あたしが殺してやるわ」

「そんな、やめてくれ」鉄の蝶に恐怖の色が浮かんだ。

「トルコ石の蝶のことは忘れてちょうだい」

「ああ、わかったよ」鉄の蝶はそう約束したけれども、トルコ石の蝶を忘れられずにいるのは明らかだった。

その後、色褪せたトルコ石の蝶は七人組の毒蜂の手で秘密裏に殺された。彼女の体は毒の矛を突き刺されて傷だらけだったという。その姿はまるで道に横たわったまま、雨というガラスの剣で刺され、体じゅうに千もの傷を負った小説家の姿そのものだ。悲報を聞いて以来、鉄の蝶は心身のバランスを崩してしまったが、有翼類 ・・・ 専門の病院へ行くこともなく、仲間たちにもひた隠しにしていた。そうこうするうちに、血の蝶は別の花園へと去っていった。鉄の蝶は悪い噂を立てられたまま、悲しみに打ちひしがれて生きる独身者となった。そう、独り身となったのだ。

小説家は思わず泣き出し、茶館は静まり返った。

「あらまあ、どうしたんです」娘の母親である中年の女が当惑した様子で尋ねた。

小説家はまだ泣いている。

「あらあら、一体どうしちゃったの」女は深刻そうに尋ねた。

小説家は相変わらず泣いている。

人々が集まってきたけれども、彼には何も見えていない。聞こえもしない。

「どうしたっていうの」女は苛立って言った。

「妻が恋しくて」

泣いている小説家を、母娘 おやこ はぽかんとした顔で見つめている。他の客もみんな集まってきた。

「ねえ、どこの出身なの」母親の方が少し状況を変えようと問いかけた。

「ううう……あの……ア……ア……アムドです」小説家は泣きながら言った。

「おや、アムドなのね。アムドのことはよく知らないけど、うちの娘は小さい頃、自分はアムドの生まれで、夫は小説家なんだと繰り返し言ってたのよ」

小説家は娘の方を見て、急に泣くのを止めた。

そして、期待をふくらませたまなざしで娘の顔を見つめた。

そうだったのか。私が最初に抱いた直感は当たっていたのか。そういえば、この娘の左眉の上に緑色のあざがある。妻ドルマの左眉の上にも緑色のあざがあった。なんと不思議なことに、形も大きさも同じじゃないか。ああ、そうだったのか。彼女はドルマだったんだ。ドルマそのものではないけれども、亡くなったドルマが転生して宿った新しい肉体の持ち主がこの娘だったのだ。

小説家は驚きのあまり、慌てた様子で目の前の鏡をのぞき込んでみると、鏡には大きな蓮の花の園が映っており、一本の蓮の花の上には、ほら貝とトルコ石の蜂が楽しげに舞っている。

小説家は喜んだ。小説家は一瞬にして喜びに包まれた。母娘二人も嬉しそうにしている。客たちもほっと胸をなでおろした。

そのとき、雨はまだ降り続いていた。

そのときミニャク・ラガンでは、相変わらず雨が降りしきっていた。

本作品について

原題はམེ་ལོང་ནང་གི་ཕྱེ་མ་ལེབ། (me long nang gi phye ma leb)。『ダンチャル』掲載。その後、著者が改変を加えた原稿をもとに翻訳した。これが本邦初訳となる。

作品解説

タバ(ジャバとも)は詩的な小説を書く作家である。邦訳のある短編小説「肉」(セルニャ vol. 2 所収)もそうした作品の一つであるが、本作品はよりメタファーを利かせた詩的要素の強い作品と言えよう。

妻に先立たれた小説家が、旅先で訪れた茶館で幻影を見る話であるが、背景として1950年代から1980年代にかけての政治状況のもと、チベットの人々が受けた精神的な苦痛を想像しながら読む必要がある。

雨の降りしきる路上に倒れた自分の屍は、大切なものを手放し、それゆえに自責の念を抱き、傷ついた小説家自身の姿である。いったん我に返るも、鏡に映る自分の姿を見て再び幻影が始まる。すると今度はほら貝のように白い蝶となり、トルコ石のような緑色の蝶と出会う。ほら貝の蝶はチベット人自身を、トルコ石の蝶は伝統的なチベット文化を象徴している。蝶の夫婦は蜜月を過ごす。

しかし、ほら貝の蝶は血のように赤い蝶と出会ったことをきっかけに、今度は鉄の蝶に変貌し、トルコ石の蝶を蔑ろにしてしまう。血の蝶は外来の新しいもの(赤い色は当然中国をイメージしているだろう)、そして鉄の蝶は新しいものに感化されたほら貝の蝶の新たな形態である。打ち捨てられたトルコ石の蝶が蜂の集団に殺害されるのは、恐らく文化大革命による伝統文化の破壊の隠喩である。

こうした精神的苦痛を幻影に見て苛まれていた小説家だったが、再び我に返ったおりに、目の前にいる茶館の娘が妻の生まれ変わりだと悟り、一転喜びに包まれ、幻影の苦しみから解き放たれるところで物語は終わる。

新しい時代になっても、チベット文化は死に絶えるのではなく、輪廻転生のように、形を変えても人々の肉体に宿り続ける。そんな希望のこめられたアレゴリーである。

(星 泉)

タバ

1963年生まれ。チベット・アムド地方チャプチャ(青海省海南チベット族自治州共和県)出身。北京の中央民族大学中国少数民族言語文学部教授。専門はチベット文学。作家としても著名で、これまでに『21人のドルマ』『麦』『羅刹ユゴクと太陽の都ラサ』などを始めとする多数の小説を発表している。チベットの現代文学に関する研究プロジェクトを精力的に進めており、自身の作品のみならず、作家タクブンジャの漢語版作品集やラシャムジャの長編の出版を始め、多数の刊行物を世に送り出している。チベット圏の大学で唯一の文芸創作講座を開設し、若手作家の育成に務めている。

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