いつも私を信頼してくれている読者のみなさんにとってはつまらぬ話ではあるかもしれないが、本当にあった出来事をひとつだけお話ししたい。
テレビや新聞のニュース報道によると、とある地域では党指導部が法律知識の普及にこれ務めた結果、今年の訴訟件数は去年より百パーセント減だったそうだ。またある都市では党指導部が社会安全政策に力を入れたことで、その年、そこの住民らは針や糸すら盗まれることはなかったという。こうした事例は枚挙にいとまがないが、もし、これらが事実なら、それらの地域の泥棒や強盗はどうやらツェジョン県にみな集結したようだ。ツェジョン県では、青龍と見まがうようなアラク・ドンの愛馬が邸宅の敷地内で盗まれた件、県知事ツェテンの妻が用を足しに行って戻ってきたらテレビがなくなっていた件、さらには、運転手の趙が飼っていた鶏が一夜のうちに全て「飛んでいって」しまった件など、人々を不安に陥れるような事件が相次いだ。そのため、住民も役人も、各家庭や職場の事情に合わせて、ある者はヤクのように大きな番犬を、またある者はうさぎほどの大きさのハバ犬(小型犬)を飼うようになった。かくいう私もささやかな蓄えを守るため、友人からもらい受けたハバ犬の子犬を大事に飼い始めた。「ハト」という愛称までつけて、立派な番犬に育てばいいなと期待していた
ハトは成長するにつれ、ずんぐりむっくりで、うつむきがちな、声の弱々しい犬になった。また、二本の足で立ち上がり、人と握手もした。私を見かけると尻尾を打ち振り、右へ左へぐるぐるまわり、召使いが主人にするようなおべっかまで使って本当に可愛いかった。しかし、驚いたことに、そのハバ犬は普通の犬のように「ワンワン」とは鳴かずに、「へへっ」と笑うではないか。さらに残念なことに、うちに来た人だれかれかまわず、「へへっ」と尻尾を振って出迎えるばかりで、いつまで経っても「ワンワン」と威嚇するふしがなく、がっかりさせられた。しかし、お互い慣れてくるにつれ情もわいてきたので、私は餌をやり、世話をし続けた。
ある日、私がハトを連れて町に出かけた時、シャンバ書記に出くわした。シャンバは、「文革」の時に、自分の父親が読経しているのを密告して、闘争したことで(当時の言葉を使って説明するなら、「闘争して自己批判を強要し、完膚なきまで打ちのめして」)、リーダーの座にのし上がった人物だが、今や民衆に重い税を課してまで宗教活動の振興策を展開している。私はそんな彼が大嫌いで、敵だとすら思っていた。ところが、ハトはシャンバの姿を見るや、自分のご先祖様にでも会ったかのように、尻尾をぶんぶんと打ち振り、シャンパのまわりをくるくるとまわってシャンパの足をペロペロとなめ、たえず、「へへっ」と言った。しまいには、チベットの高僧にでもするような五体投地を三度したので、さすがに私もうんざりして蹴りをくらわした。ハトは悲鳴を上げながらも、シャンバへの愛想笑いを忘れなかった。それを見たシャンバは「なんて可愛い犬だ。なんて賢いんだ」と言いながら、ハトと連れ立って行ってしまった。
後に聞いた話では、シャンバとハバ犬は昼は昼で連れ立って出かけ、夜は夜で一緒に眠る、そんな生活を送っているとのことだった。ある日、県の党委員会の書類を広げたところ、「ハト同志、ツェジョン県党委員会の副書記に任命」と書かれているのを見つけたが、私は喜ぶ気にもなれなかった。しかし、数日後、ハトは運転手つきの乗用車の助手席に座っていた(助手席に座りたがるのは、田舎の下っ端幹部によくみられる習性のひとつだ)。それにとどまらず、ハトはサングラスまでかけていたのだ(これも幹部の習性のひとつだ)。そして、彼は今や、堂々と頭を上げて胸を張り、声色も一オクターブ低くなっており、実際に偉そうにしていた。
あるとき、出世欲はとても強いが、ハバ犬のような人心掌握術に長けていない友人が思わせぶりに、「ああ、おれもハバ犬だったらよかったのに」と言った。そう言いたくなるのも無理はない。
ちょうど、ハトの野望は月が満ちるかのように満たされつつあった。そんなある日、ツェジョン県の公庫の大金の行方が分からなくなった。それにはハトが関わっているとかで(ハトが穴ぐらに隠れるマーモットのように暮らしていたのはそのせいだ)、しばらく拘留されていたが、ほどなくして釈放された。
司法局の言うことには、ハトが公金を横領したのは間違いないが、現行の法律には、「野生動物愛護法」しか定めがなく、「動物刑罰制度」や「動物懲罰法」などがないため逮捕できないのだという。というわけで、ハトが本当は動物であり、子犬であるという事実を受け入れるしかないのである。
「ハバ犬」という単語はもともと漢語の「哈巴狗 (ha ba gou)」(「がに股の犬」という意味) という表現に由来し、東北部のチベット語に借用されたものである。牧羊犬や番犬として飼われてきたチベタン・マスティフなどの大型犬に対して、「小型犬」一般を指す際に用いられている。
「ハバ犬」の登場する小説としては、タクブンジャの「ハバ犬を育てる話」が有名である。「ハバ犬を育てる話」では本作よりもフィクション性が高められており、ハバ犬が人の言葉を話し、主人公である「私」やその上司らに言葉巧みに取り入っていく様が描かれている。「ハバ犬を育てる話」が2006年に発表されたことを考えると、本作が「ハバ犬を育てる話」の創作になんらかの影響を与えていたことは間違いないだろう。同作品はタクブンジャ『ハバ犬を育てる話』(海老原志穂他訳、東京外国語大学出版会)に収録されている。併せてお読みいただければ幸いである。
また、本作に登場する「ハバ犬」は、ツェラン・トンドゥプ自身が飼っていた小型犬をモデルとしていることが、エッセー「ゲンツェンを悼む」(2002年『青海日報』(漢文版)) からうかがい知れる。
1961年、チベット・アムド地方ソクゾン(中国青海省黄南チベット族自治州河南モンゴル族自治県)の牧畜民家庭に生まれる。祖先はチベット化したモンゴル人で、民族籍もモンゴル族。黄南民族師範学校を卒業後、1983年に短編小説「タシの結婚」(未邦訳)で作家デビュー。青海民族学院、西北民族学院で文学について学んだ後、1986年に故郷に戻り、司法局に勤務しながら創作活動を続ける。その後、県誌編纂所に異動し、県の十年鑑の編纂業務に従事するかたわら数多くの小説を発表する。県誌編纂所所長、档案局局長を経て退職、現在は創作に専念している。チベットの現代文学を代表する作家の一人。作品は様々な言語に翻訳され、国際的にも名高い。代表作に長編小説『赤い嵐』、『僕の二人の父さん』(いずれも未邦訳)など。好きな作家として、ゴーゴリやチェーホフ、カフカや芥川龍之介などを挙げる。邦訳書に『黒狐の谷』(海老原志穂・大川謙作・星泉・三浦順子訳、勉誠出版)がある。