種まきは、農業にとってはもっとも重要な仕事であり、秋の収穫の際によい収穫を得るための前段階の最初の要因となる。ロサルのあとに、春の仕事をはじめると、M村の大小の道と大小の畑の区画はにぎやかになる。ロサルは、春のはじまりのしるしでもある。一年が終わり、新しい年がまたはじまるしるしである。1月はロサルの「白い神の月」というこの月の前半の時間はすべてめでたいというが、正確には、その中の6日と7日が特別である。M村でもこの2日を「黒い日」と呼んで、宴会やお祝いなどはいっさいしない。しかし、この2日は堆肥おこしという春の仕事初めを行うのにも時期的に合っている。家族総出で、一年間、外に積んでおいた堆肥の山をわきに積み直す作業をする。なぜそうするかというと、外に積まれた堆肥を牛小屋や羊小屋からかきだすと、多くはごつごつと固まっており、さらに冬の寒さの中で凍って硬くなっているからだ。このような堆肥を畑に直接うつしてしまうと、作物が栄養豊富に育つことの妨げとなる。そのため、種まきの一番はじめにする作業は、外の堆肥の山をひっくりかえして積み直すことであり、積み直すのにはシャベルと木の小槌という二つの道具を使う必要がある。この仕事は、家事のできる男女ふくめた家族みなで一緒に行う必要がある。一般に、男性はシャベルで堆肥の山を掘り返し、女性は木のハンマーで堆肥をたたいてこなごなにしなければならない。春の暖かな地面や水の力で、その堆肥からは(水分が)蒸気となってもくもくとあがる。冬の一ヶ月の間、大きな労働はせず、ゆったり過ごした人たちの身体からも汗がふきだす。そのように外の堆肥の山を細かくくだいて、畑にうつしてもよい状態にする。このような堆肥はヤギ糞、羊糞、馬糞、犬糞、ヤク糞などで作る。作物を育てるためのすばらしい自然の栄養である。これは科学的な添加物などはいっさい混じっていない、自然界から得て再び自然界に与える知恵の恵みである。
新年の十五日をすぎると、春の労働が本格的にはじまる。まずは、2種類の共同作業によって春の労働を迎える。この章のはじめに、労働の総論として述べたように、M村の場合、公の行事には収穫と生活の安定と繁栄の役割がある。種まきの際に、堆肥を畑に運ぶ木の車(大八車)を使う必要がある。木の車は村の大通りから畑の大きな角を曲がって、各々の畑に堆肥を運ぶ。そのため、最初の章で述べたように、畑のあぜ道を補修することは種まきの際に重要な作業である。これらの畑仕事をするときには、村の責任者がドンルチャガから村に回って、朝少し早くに大声で、「おーい、道を直しに来い、道をなおしに来い」といったように人々を何度も呼ぶ。そして、村の各家庭は働き手が朝食を終えてスコップを肩にのせ、村の四つ辻に集まる。一日か二日の間、村の責任者の指揮と采配のもと、ヤルナンククと、マルナンククという村はずれのあぜ道が修理される。
共同作業の二つ目は水路を補修することである。種まきをする前には、畑に水を引く必要がある。谷の水を水路で引き上げ、各畑に水を直接引く必要があるためである。そのため、正月の十五日が過ぎると、道を作る行事の終わった後で、村の責任者が再び朝に、ドンルチャガから村のほうに声をかける。「おーい、水路の補修に来い、水路の補修に来い」と呼ぶ。人々は前と同様に、村の四つ辻に、鍬とシャベルなど必要な道具を持って集まる。第一章で述べた、上の水路と真ん中の水路、下の水路の3つを直しに行く。水路を補修する時は、各戸分担または、仕事の割り振りをし、それも各戸を一単位とし、村の責任者が、灌漑の長さを歩幅いくつ分かではかり、一家庭の労働人数にみあった歩数分の長さの水路の補修を配分する。
道は平らにし、水路は灌漑の中の水が流れにくい箇所のすべてのものを取り除いてから、全体に通りをよくする。そしてやっと、種まきをする前段階として、堆肥を畑の中に運び込む。堆肥を運ぶのは、種まきのための特別な仕事で、家庭にとっては最もむずかしい仕事のひとつである。M村の中でこのような最も難しい仕事を「共同作業する」習慣があり、それは、集落の中の家庭や、親族・きょうだいの家庭間でお互いに協力するものである。堆肥を畑に運ぶことは「堆肥運び」という。堆肥を運ぶ時に、3、4家庭が集まって、ひとつの家庭の家の前の堆肥の山をその家庭の畑に運び入れるのを手伝う。共同作業をする時は、人間のする労働の他、道具についても共同作業する必要がある。たとえば、荷車(大八車)とそれを引いてくれる馬やラバなどである。また、車の類が入れない畑には、ロバに堆肥の袋をかけて行く必要があり、ロバや袋をお互いに貸し借りして使う必要がある。堆肥を運ぶことは、男女が協力しあう仕事であるが、個別の仕事においては、仕事の分担が多少はっきりしている。(具体的には以下のような仕事がある)
(1)外の堆肥を荷車に載せる
(2)荷車を操縦して、畑に運ぶ
(3)畑で堆肥の山を小さくして、畑全体にまく
男数人が家の前の堆肥を荷車に積む作業を担当し、また、男数人は荷車の中の堆肥を畑にうつす作業を担当する。女たちは、畑の中に運び込んだ堆肥の塊をシャベルや、背負かご・ざるなどで(ふるって)小さくし、畑全体に広げる責任をおう。このための小さな堆肥の山をM村では、「小さい堆肥」と呼ぶ。小さい堆肥を畑全体に広げることは、細かい作業であり、小さい堆肥の大きさと距離にさほどの違いが出ないようにする必要があり、種まきの際に堆肥を畑で均等にまく責任をもつ。小さい堆肥を広げた後、女たちが堆肥の上を土で覆い、種まきの間に、大事な肥料が春の強い風でふきとばされないようにする。
堆肥を運ぶ日はなんとも騒々しい。男たちは、仕事のかたわらお互いにさまざまな冗談を言い合い、酒や煙草の好きな者たちは、これを好機に、酒瓶を回し、少しずつ飲んだり、その家庭が用意してある煙草を吸ったりする。また、汗を流しながら堆肥をすくい出して移す。女たちは、男たちのいなくなった畑で女性だけの話をする。笑い声をあげ、畑の各区画から声が響きわたる。彼女たちの話は男たちには常に秘密であり、それは、男たちの話が女性には秘密であるのと同様である。家庭や集落の間で、親族きょうだいの間で、このように堆肥を運ぶ共同作業の習慣があるために、困難な作業も容易かつ楽しいものとなる。その日には、その家庭の堆肥運びを手伝い、二日目には他の家の堆肥運びをする。そして、数日間は汗と笑いの中で運搬を行う。その間の昼食は通常、その家庭の主婦が全員のために用意する必要がある。そのため、共同作業をする日は、各家庭の主婦が料理の技術を競う機会でもある。主婦たちは、腕をふるい、手伝いに来てくれたご近所さんや親戚きょうだいをできるだけおいしい食事でもてなす必要がある。
このように、堆肥を畑に運ぶ一連の作業が終わり、M村の男女がシャベルと鍬、ほうき、背負かごなどをもって再び畑に赴くのを目にすることができるのは、畑の中の畦道と水路の出入り口などをつくり、掃除しに行く時である。このようである。畑の畦道のことをM村では「畑の節(ふし)」という。そして、修理をすることを、「畑の節をつくる」という。
畑の節(畦道)は、その前の年に刈り取りと耕作などを行い、冬の三ヶ月あまりの期間に傷んでいるので、ここで再び土を固めて背骨のようなでっぱりを作る。水を流す時に水をうまくせきとめられないと、畑の中すべてに水が均一に行き渡らないため、畑の節(畦道)をつくるこの仕事は、種まきの最初の仕事の中でも重要なものである。一般に、男性たちがこのように畑の節をつくるとき、女性たちは背負い籠と箒をもって、畑の首にあたる用水路と小渠のさかい目などに残ったな作業をする理由は、水を引く順が回ってきた時に、畑に春の水を流す準備をするため
小石や雑草の実などを掃除しなければならない。このようにする理由は、数日後に畑に水を流す時に、灌漑の中の小石や水路の出入り口の中に残った草の実などが畑に運ばれて、(1)作物の種子を押しつぶして育たないようにしたり、(2)草の実が畑に運ばれて芽を出し、雑草が畑に広がり、夏になって雑草をむしる仕事が忙しくなりすぎないようにするためである。これらの仕事をする頃には、春の砂嵐が起こっているので、天と地の間が土の煙でもうもうとし、谷全体が灰色に染まる。人々は目を細めて、このように大地の掌の中にある大自然の天候の変化の中で、慈愛に満ちたやわらかな笑みを浮かべながら耐える。それは、春の輝きが遠くの山の彼方から近づいてくるのを待ち焦がれるのに似ている。ほどなくして、彼らの期待の中で春の使者のような水の流れが凍てついた通り道から解放されて、さらさらと音を立てながら畑に注ぎ込む。
畑に春の水を注ぐことは、種まきの最初の大事な作業である。そして、谷を流れる川は谷全体が所有する共同の資源であるため、谷全体の村々が会合に集い、水がどのように畑仕事に利用されているかという面から話し合いをする必要がある。そして、何時からどこの村が水を使用するか、使用する時間はどのくらいかなども明確に決める。これを、「水の規則をつくる」という。この規則については、あとの章で多少詳しく紹介し分析するので、ここでは詳細は示さない。M村の中でも大きな隊が4つある。これらの大隊が水がどのように使われるかの決まりを作り、それに従ってローテーションで水をひくことを「水のローテーション」という。水のローテーションが各大隊にあたった時、その大隊の人々が畑に水をひく。
谷の上の山の間から、湧き出す清水は、大水路と小水路を通って、畑地の近くまでやってくる。水源はなにかを欲しているかのように、前で飛び跳ねる生き物よろしく、砂埃を飲み込み、ザーザーと流れる。水源に遭遇した人は、川に手を伸ばし、(その水を)三度、天に捧げる。それは、験担ぎだと考えられている。そのように、川によって春の最初の埃を抑えて、畑に十分に水を行き渡らせると、空気中にも地味と湿気のにおいが広がっていく。春の種まきの準備をしている畑が、川の水分を飽くことなく飲むのだ。一般に、春の水を注ぐ作業は、共同作業と個人作業の二つの意味合いが混じったものである。ある隊に水のローテーションが回ってきた時、その隊の各家庭から二人ずつ水を注ぐ仕事に行かなくてはならない。水を注ぎに行く人を「水のリーダー」という。水のリーダーの采配のもとで、人々が畑に水を注ぐ時間内にできるだけうまく(水を)活用する。そのため、みなは、水のリーダーの指示に従っている。水のリーダーが指示をだすことを「仕事を手配する」という。水のリーダーの隊に属する人の何人かを、灌漑の注水口まで水を止めに派遣する。自己中心的な人が水泥棒するのを事前に防ぐため、さらに、水路の出入り口の流れを変えて、他の水路の途中に(水を)流すのを防ぐために、一部の人を、灌漑の見張りとして送る。その後、人々はその隊の各家庭の所有する畑に水を引く責任を負う。各家庭の主の大きな関心事であるのは、春の水を引くことは農業では最も重要な仕事であるからだ。畑のすみずみまで水を行き渡らせるかどうか、水を畑に均等に回すこと、畑の区画の端っこで水を抜く時などすべての数日後に畑の耕作に直接関係がある。
畑に水を引く仕事が終わると、今度は、天候の変化を見ながら、畑に種をまく時期を待つこととなる。その間、主が種まきの計画を考える。その家庭が所有する畑に五穀の他、なにをまくか、種をどのように調達するかなどである。最初の章でM村の地勢について説明をした時すでに述べたように、M村には3つの農耕の大区画があり、各家庭は農耕地区にみな畑地をもっている。それだけでなく、パリツァのふもとにも農耕区画をもっている。さらには、山地の平なところに畑がある。さまざまな山地と灌漑用地、そして、畑の区画はそれぞれに、小麦や大麦、豆、菜種、ゴマ、その他に何を植えるかを計画することは、頭を使う仕事である。前述した、畑の区画の畑地はまた異なり、それらも相対的に標高の高低や、面積の広さ、肥沃かどうかなどの条件での違いがあり、そのような違いは、主がどの穀物を植えるのかを決める基準となる。一般に、土地の質は、肥沃であり、標高が低く、面積が広い土地が好まれる。それらの土地の中で生育条件を満たす作物が植えられる。総じて、小麦の類が植えられる。小麦は小麦粉の原料であり、家庭で食べるものの中で最も食される。最もよい畑地に小麦の類が植えられる。また、小麦には何種類もの種がある。その中からどれを植えるべきかを主はさらに計画しなければならない。その他、油の原料である菜種やゴマの二種類は、少し高地で痩せた畑地でもよく育つ。主は、一般に多少遠めの畑地に植える。そして、ツァンパの原料である大麦は、低地よりも高地で、肥沃なところより痩せたところでよく育つ。主はそのような特徴のある畑地の中に大麦を植える。時には山地の畑地すべてに大麦を植える。大麦は、実りやすい穀物で、時に(畑がない場合には)必要に応じて、共同作業場の中に大麦を植える。先に実った大麦を刈り取ってから、共同作業場をつくってもよい。豆は、豆粉、それ以外には、馬やラバの餌になる主な作物であるので、小さな畑地に植えてもよい。このように、主は、先を見据えて綿密な種まきの計画を立てる。一般に、上述の穀物の中で、小麦をまく畑は一般的な畑地の大部分であり、それ以外に菜種とゴマ、そして、豆などを植える。これらの(作物の)種は畑の数と広さに応じて用意し、そして、実際に種まきの作業をする日を待つ。
春にはまだやわらかな雨は降らない。大地の体温は日に日に上がっていき、呼吸をする息のような大きな風がぬくもりを運ぶ。その頃には、遠く、川の上流の雪山の白い衣のすそも上にあがりつつある。近くに生えた柳の枝につくつぼみも微笑む日が近い。M村のヤルナンククとマルナンクク、村のふもと、パリツァなどの畑の大区画には春の水を注ぎ終わり、畑地はきらきらしている。陽の光と風はともに畑地の肥沃な土壌の表土の湿り気を徐々に乾かしてしまう。その頃、主は手を後ろに組み、ゆっくりとそれらの畑に赴いて、足で土の柔らかさを確かめる。ほどなくして、これらの畑に種をまく時期がくることを知る。
種まきの日がとうとうやってくる。その日は人と家畜とがともに労働をする個人作業の日である。家族たちは四角い家屋 から外に出てきて、馬に車輪をつける。台車の中には、種を入れた毛織の布袋 と、代掻き用農具 (p. 173のイラスト参照) , 馬鍬 などが置かれている。そして、ラバを連れてきて(訳者注:種運び、または、代掻きに用いる)、ペアになっている耕作用の牛二頭の首にくびきでつなげて、その上に木の鋤 をつけて引いていく。M村の中では、このような耕作用の牛を「トル 」という。このように、人と家畜がにぎやかにそれぞれの自分の畑地を進む姿は荘厳である。
M村では、種まきに大きく二つのやり方がある。「水まき」と「空まき(水抜きまき)」の二種類である。「水まき」は、まず、さきほどの準備の際に述べたように、畑に水を流し、そして、その上に種をまくことである。M村の畑のほとんどはこの方法をとっている。「水抜きまき」は、それとは逆に、畑にまず水を流さずに、素の地面 の中に種をまき、水は、種をまいたあとその日のうちに畑に流すという方法である。M村の中で「空まき (水抜きまき」をする人は非常に少ないが、このようなまき方とる家庭も一、二家庭ある。「水まき」の実際の仕事を述べると、まず、種まきの験担ぎ、畑の中に鋤 を最初に入れる作業がある。「鋤入れはじめ」と言う。まず、主人の男性が当日、新しい靴を履いて、新しい単の服を着る。冬が過ぎ、暖かくなってくると、狐の毛皮の帽子などの厚手の帽子を脱いで、フェルトの帽子や礼帽などをかぶり、縁起をかつぐ。雄牛やゾのペアに、よい「耕作用の牛」として、角の先に白いカターをつけ、畑を行かせ、枡の中に質がよくごみなどが入っていないよく乾いた種をいっぱいに入れたところに、種のついたビャクシンの葉の束を入れる。実際種をまく時には、最初に鋤を入れ、種を畑の中に最初にまく方向は、自分がまきたい方向ではなく、その年の年神がいる方向を明らかにする必要がある。その年の年神は東西南北のどの方角にいるのかを把握し、もし、年神が北にいるなら、鋤の先は北に向けず、南に向けて、最初の耕作をする。そのようにしなくてはいけない理由は、鋤の先に金属がついているため、年神の口に金属を入れないため、年神と反対の方角に最初の耕作の振り下ろしをする必要があるからだ。そして、真っ直ぐに一回、振り下ろしたあと、再び、畑の畦道、つまり、畑の関節をそって、右回りで、丸くなるように振り下ろす。そして、その年の最初の収穫のための最初の験担ぎが終わる。最初の種を播く時は、耕作用の牛によって「胸を開く」方向と反対に、土地神のいる方向に顔を向けて、種を播く必要がある。そして、主人が種を播く時に、その年が豊作になるように、という験担ぎの祈願文を唱える。「豊作、豊作、下のカチュの豊作よ、来たれ。上の長江の豊作よ、来たれ。頭を上下させる雌牛に豊作よ、来たれ。ナンラのセルムクゾンの豊作よ、来たれ。ランジョのカッコウの畑に豊作よ来たれ」といって、祈願文を唱える。カチュと長江、それ以外のナンラ、ランジョなどは、非常に遠い場所から次第に近くなってきている。それらの土地は、豊作の場所であるので、「鋤入れ」数日、豊作になるように祈願文を唱える時も、上述の土地(の名)を唱える。
「水まき」にもいくつかの段取りがあり、これらの段取りを最初から最後まで、誤らないようにして、細かく行う必要がある。
種まき(水まき)の段取り (1)-(4)
(1) 最初の作業は「肥料まき」であり、土被せてある細くした糞の肥料を畑の中に平らにまく。その作業をする人は、一般に女性である。肥料をまく人は、金属のシャベルで肥料の量や厚さを均等にし、畑の中にまく。それは、彼女らが家の中でパンを焼く時、その上に散らす香草類と同様である。この作業は、細かく、肥料をまき終わった後、彼女らは、畑の中でかたくなっている肥料のかたまりや、ごつごつした土のかたまりを土杭でたたいてパラパラにする必要がある。この作業が行われている間、男性は、荷車の台車から種の入った毛織の布袋を取り出して、枡の中に種を入れ、準備をし、種まきの実際の作業の第二段階目を行う。
(2) 第二段階は、種をまく作業である。作業をする人は、男性である。種を畑の中にまくのは、正確な技術が望まれる仕事である。以前は現在のように種まきの機械がなかったので、畑に種をまく作業は人間の手に託されていた。しかし、長い間の労働の経験の中で、人々は種まきについてすばらしい経験を得た。この経験がもっとも重要なものである。直接、畑の中の穀物の生育の質と関係する他、秋の収穫にも関係してくる。種まきでは、まず、畑の大きさによってどのくらいの種をまけばよいのかをはかる。毎年、同じ畑にこのように種をまく作業の中で、主人は自分の畑にどのくらいの種をまけばちょうどよいのか経験的に把握している。種の量は、枡ではかるのだが、枡は昔からずっとチベットの度量衡を計量するものである。主人が穀物で満たした枡を左の脇にかかえ、右手で種をひと握りずつ前方の畑にまく。これは、歩幅、手の動き、それだけでなく、前方の畑の大きさなどが合致し、うまく調節する必要がある作業である。大きい歩幅と小さい歩幅があるだけでなく、手のひらの中の種の量、播く時の揺らす速さはこぼれないようにする。種を畑にまきすぎると、作物が育つ時に、密度が高すぎて実らないという影響がある。また、まく種が少なすぎると、収穫する時に直接、影響がある。それを、「ラクチェショルワ 」と言い、避けるべきものである。まとめると、熟練した男性はまだ口で「一、二、三、四」と歩数と手を揺らす回数を数え、一列(star pa)終わると、また一列、真っ白な種の粒が翼を広げた鳥のように一羽ずつあわてふためいて、待ちきれないかのように 肥沃な黒い畑に落ちていく。春の日差しのもと、種をまくメロディーはなんといきいきしたものだろう。そうして、畑の全面に白い種がまかれ、種と黒い肥料によって、やっと、主人の種まきの作業の三つ目の段階を待つことなる。
(3) 三つ目は、犂耕である。この時、畑のそばにいる牛二頭をつなげ、二頭で労働をする時がくる。耕作する家畜二頭は主人に追われて、畑にやってくる。耕作を行う装備もすべて、それらの耕作する家畜につけ終わり、木の鋤を畑の区画の隅から土中にさしいれ、牛の鞭を空に振り上げ、地面を耕す。ここで特筆すべきことは、鋤をM村では「カチャ 」ということである。カチャは金属のカチャと木のカチャの二種類がある。これら二つの用途は異なる。鉄のカチャは、両側を耕すことができるが、これによって耕す時には、畑の一方に引っくり返すことになる。金属のカチャは、秋に畑の収穫が終わったあとに畑を耕す際に利用する道具である。詳しくは、この章の秋についての見出しで説明する。次に述べる木のカチャは、歯が木であり、両脇を耕すことはできない。真っ直ぐに地面の中にささり、地面を割りながら進む。耕作の日に利用するのは、木のカチャだけである。木のカチャの利点は、土に深く入り、溝にも深く入り、種を土の中に深く埋めて、生育に害がないように予防することである。そのように、耕作する家畜二頭がカチャを引き、よだれを垂らしながら前進する。主人は、(牛の)背後で、片手でカチャの柄をもち、もう片方の手では、牛二頭の鼻紐を引っ張り、溝がまっすぐになるようにする。しばしば、牛の鞭を空に振り上げ、なまけている牛の背中を鞭打つ。空気中には黒土が表に出た泥のにおいが満ち溢れる。直前に畑にまいた種と肥料を、この時に、黒土で覆い、見えないようにする。
(4) 第四段階は、馬鍬かけ である。この時には、畑のわきに、前足でいらいらと土をほりかえしていた 灰色の老いたラバが労働する時期になる。「シャル 」というのは、線状の木の板の両端に金属の輪をつけたもので、そこに皮紐をつけて、ラバが引く。一人が板の上に乗って、ラバの尻尾をつかみ、もう一人が、ラバの端綱を引いて、畑の中の溝を平らにする作業である。この作業は、種まきの一番最後の作業である。この作業は、老若男女ともに行うものであり、馬鍬が深すぎると、種が地中に入りすぎて、生育に問題が出るし、浅すぎると、種が地中にうまく入らない。種をついばむ鳥が食べに来るので、深さを均一にしなくてはいけない。そして、一般に、男女のうち男性がラバを引いて、女性が馬鍬をかける。もし、家に十歳くらいの子どもがいたら、馬鍬の上に乗って、仕事を手伝う。この作業をする時には、家の主人が自分の妻に「太ったんじゃない?」と冗談を言って笑いを誘い、しばしば、畑の区画の作業の合間にこのような笑い声が響く。
にぎやかな種まきの実際の作業がこのように数日で終わる。M村の大小の畑の区画は再び閑散とする。種まきの作業の中で、私たちは、これまでこの昔からの村が自然界の土壌と天候などの条件が合うことによって、生産活動を行ってきた知恵を見てとることができる。それぞれの作業の中から人々が集め、蓄積した経験も見られる。もし、種まきの作業の体験が、文字上での詳細な記述ではなく、映像で撮影されたなら、われわれが行う村の中の労働を行う者たちは各作業に非常に習熟しており、かつ円滑に行っていることがわかる。彼らの細かい動きの中のどの作業が手慣れているものなのかが見てとれる。このように、作業の経験は、各人の作業の実践の中から学ばれ、さらに、自分よりも年配の人たちの直伝や、それを学ぶことで習得される。これは、生活に実際に必要な経験であり、M村が代々育成していくべき最も重要な条件であるだろう。まとめると、種まきの時期にはかくのごとくすぎさり、春の輝きは近づき、風の足音は村の一体から直接、聞こえてくる。ほどなくして、黒土の畑の中に作物の芽がみるみると頭を出してくる。