ソンタルジャ監督と著名な歌手ヨンジョンジャ氏の初タッグによる映画『巡礼の約束』が2020年2月8日(土)から、岩波ホールを皮切りに、順次全国ロードショーが始まります。(『巡礼の約束』公式サイト )
2019年12月にこのお二人が来日した機会に、『SERNYA』編集部として気になること、ヨンジョンジャ氏が故郷であるギャロンを舞台とした映画を製作したいと思ったわけ、ソンタルジャ監督に依頼することになったいきさつ、チベットとギャロンの言語をめぐる話から映画の登場人物の話、そして次回作についてなど、さまざまなお話ををうかがいました。
監督:ソンタルジャ|プロデューサー:ヨンジョンジャ(容中爾甲(ロンジョンアルジャ))|脚本:タシダワ、ソンタルジャ|出演:ヨンジョンジャ(容中爾甲(ロンジョンアルジャ))、ニマソンソン、スィチョクジャ 2018年|中国語題:阿拉姜色|英語題:Ala Changso|中国映画|109分|シネマスコープ|5.1chサラウンド|字幕:松尾みゆき|字幕監修:三宅伸一郎|配給:ムヴィオラ
◆(編集部)『巡礼の約束』はギャロンの文化や人々に焦点をあてた初めてのチベット映画ということで、とても画期的な映画だと感じました。チベットの中でも少し特異な文化を持つギャロンを背景に、迫りくる死を覚悟しつつ過酷な巡礼にのぞむ妻、うろたえながら愛情深くそれを支える夫、親から見捨てられた思いにさいなまれて荒れる息子、この3人の繊細な心のゆれを見事に描き出した作品ですね。
◆この映画の企画はもともと主役を務めたヨンジョンジャさんから持ち込まれたものと聞いております。ヨンジョンジャさんがこの映画を企画をされた理由をまずはお聞かせください。
ヨンジョンジャ:チベットでもアムド地方やカム地方についてはある程度知られてますが、私の故郷のギャロンがどういう場所なのか、知っている人はあまりいないでしょう。ですから、まずは映画を通じてギャロンという古い文化をもったチベットの重要な地域について知ってほしいと考えました。ギャロンの文化を織り交ぜて物語を描くことで、そこに住むいきいきとした人々の心、感情を表現したかったのです。
また、巡礼をテーマにしたのは、ギャロンからは毎年ラサに巡礼に行く人が大勢いるからです。その手段は、五体投地、徒歩、車といろいろです。私の知人は五体投地で2回、ラサまで巡礼しました。私の小学校の先生も故郷トゥジェチェンボからラサまで五体投地で巡礼をしています。先生は病気で中断したり、臨時の仕事についてお金を稼いだりしながら3年間の歳月をかけて巡礼をしたのです。
このような物語は歌や舞踊ではなく、映画という媒体をとるのがもっとも最も適していると思いましたので、ソンタルジャ監督にお願いした次第です。監督に感謝しております。監督と一緒にギャロンをめぐることができたのは貴重な機会でした。
ソンタルジャ: チベットは広大な地域ですが、これを言語でわけると四つのエリアにわけることができます。ウー・ツァン、カム、アムドの三つの地域それぞれの方言があり、他にギャロンを加えると四大方言エリアとなります。
私自身もギャロン地域に足を踏みいれたのは初めてのことで、撮影のためにあちこち歩いて回ったため、自身でも新たな体験を得ることができましたし、感激することも多々ありました。
特に驚いたのは、ギャロンの言葉には多くの古代チベット語の単語が含まれており、かつ古い儀式が残されていたということです。
◆「巡礼の約束」の製作費はすべてヨンジョンジャさんの会社が出されたとそうですね。またヨンジョンジャさんは当初、映画の脚本を有名な小説家のタシダワ(ザシダワ)さんに依頼され、それをソンタルジャ監督のもとにもっていって監督を依頼したと。でもソンタルジャ監督がそのシナリオを徹底的に書き直されたと聞きました。
ヨンジョンジャ: タシダワさんの脚本では9割が私自身の物語からなっており、残りの1割をタシダワさんが付け加えられました。しかし、ソンタルジャ監督が書き直した脚本は9割が監督の手になるものです。
ソンタルジャ: ヨンジョンジャさんは私の監督作品「草原の河」を気に入って私に監督を頼みにきました。お会いしたのはそれが初めてでした。とはいえ、タシダワさんのもともとの脚本は漢人の女性とチベット人の男性のありきたりの巡礼恋愛物語でしたので、脚本を書き直させてもらうことにしました。
タシダワさんからは脚本に手をいれてもいいと言われていたのですが、子供のころから尊敬してきた作家の仕事をむげにするのも失礼な話だとためらいがありました。そこでラサにいるタシダワさんのもとに行って、酒を酌み交わし、最終的には「きみが撮りたいように手を加えてもいい」と言ってもらえたのです。それで、やっと私も安心できました。彼は60歳で、私よりずっと年上です。私は子供の頃からの彼の小説の愛読者であり、私にとっては先生のような存在ですから、しかるべき敬意を払う必要があったのです。
◆ヨンジョンジャさんはこの映画で夫のロルジェ役を演じていますが、他の人を主役にするプランもあったのですか?
ソンタルジャ: いえいえ、脚本を書きながらキャスティングも考えたのですが、彼に是非主役を演じてほしいと思っていました。ヨンジョンジャさんは最初は出演を固辞していましたが、私が説得をして、髪もばっさり切ってもらい、有名な歌手というオーラも見事消して、おろおろする夫の役を演じてもらいました。ご当人もこの作品をすごく気に入ってくださっているようです。
◆ヨンジョンジャさん演じる夫ロルジェは巡礼に出る妻を快く送り出しますが、妻亡きあと、この巡礼が前夫の遺骨を聖地ラサに持っていくためのものであったことが発覚する。嫉妬しようにも、二人ともすでに亡くなっているわけです。妻の追善供養のために訪れた寺で、妻と前夫の写真をつい引き裂いてしまうという描写が、どうしようもない心の葛藤を示して実に秀逸でした。
ソンタルジャ: 妻の追善供養をたのむ際、夫は妻が隠し持っていた妻と前夫が一緒に映っている写真をお坊さんに渡すのですが、その際、お坊さんが聞くわけです。
「どちらが亡くなったのですか」
夫は答えます。「二人ともです」
すると事情を知らないお坊さんがこんな言葉をかけるのです。
「二人とも亡くなったのならよかったですね。残されなくてお互いに苦悩しなくてすみますから」
◆この言葉を聞いた夫ロルジェのなんともいえない表情が忘れがたく、この映画のハイライトシーンのひとつだと思います。映画のパンフレットにも書かれてますが、写真を破るシーンを思いついた時、「やった!」と思われたそうですね。そして破られた写真が再びくっつけられて目の前に現れた時、夫ロルジェもこの映画を見ていた観客も初めて連れ子のノルウの心情が理解できる。
ロルジェをはじめ、『陽に灼けた道』でも『草原の河』でも、あなたの映画は、葛藤をかかえた弱気な男性を描くことが多いですね。それは何故ですか?
ソンタルジャ: そのほうが現実を映しているからです。
◆主役のお三方はどなたも見事な演技でしたが、特にノルウ役の子の演技は素晴らしく、親に捨てられたどうしようもない苦しみをよく表現していました。本当にいい子を選んだんですね。キャスティングが利いています。
ソンタルジャ: 撮影期間の関係で、ノルウ役の子はギャロンではなくアムドで探すことになりました。二千人の候補者の中から彼を選んだんですよ。
候補になった子供たちはどれも『草原の河』の主役のヤンチェン・ラモみたいなかわいい子ばかりで、いまいち気に入らなかったのです。自分が望んでいるのはこういうタイプの子ではないと言ってもうまく通じず、その場を立ち去ろうとしたとき、向こうから見返してくる子が目にはいりました。そして彼こそ私が望むノルウだったのです。演技テストぬきで即決で決めたのです。彼は私の次の作品『ラモとカベ』にも出演しています。
映画では親の愛情に飢え、怒りをかかえた男の子として描かれているので、実生活でもそうではないかと思い込む人もいるのですが、親の愛情をたっぷり受けている子です。
◆ノルウ役の子は演技経験がないわけですが、監督が演技指導をしたのですか? アムド語とギャロン語はちがいますが、わざわざギャロン語を勉強したのでしょうか?
ソンタルジャ: 現場で実際に撮影する時には、こういう目つきをしろ、こう言いなさいという指示を出しましたが、性格などについては説明はしていません。彼は演技を知りませんから。また事前に何か伝えるようなこともしていません。素人が事前に演技の練習をすると、かえって演技を損ねてしまうからです。ギャロン語については、彼自身はほとんど台詞がありませんからね。目で演技をするんです。
妻役のニマソンソン、夫役のヨンジョンジャもまったく事前準備はしていません。練習してくるような演技を私は求めていません。また、ヨンジョンジャとニマソンソン以外には脚本も渡していません。私は自然な演技がほしいのであって、つくられた演技は求めていないのです。
『草原の河』でも、グル・ツェテン、ヤンチェン・ラモは演技においては素人です。三人とも、映画撮影終了後、上海で上映された『草原の河』を見て、初めてどういう映画だったのか理解できたと言ってました。撮影するときには、物語の順番どおりに撮影するわけでなく、午前と午後違うシーンを撮ったりするわけですから何がなんだか分かりませんよね。
◆主役の3人以外に、仔ロバが出てきますね。準主役といってもいいほどのうまい味を出していました。あれは野良ロバという設定ですか?
ソンタルジャ: そうです。昔のチベット社会ではロバは乗物として重宝していたのですが、最近は車社会になったせいで、必要なくなったロバは捨てられるようになりました。
◆捨てられロバに捨て子。ノルウと同じ境遇ですね。
ソンタルジャ: 母親が亡くなったとき涙を流せなかったノルウですが、母ロバを亡くした仔ロバを目にした時にやっと涙を流すことができたのです。脚本ではもっと小さい仔ロバの予定でしたが、見つけられずあの大きさになりました。わざわざロバの担当係も雇ったんですよ。餌をあげ、車で移動させるためにね。スィチョクジャ(ノルウの子役の本名)は仔ロバとすっかり仲良しになってしまい、なんと撮影終了後、ロバを自分の家まで連れて帰ったんです。今は彼の故郷バルゾンで飼われています。
◆仔ロバに亡くなった妻ウォマの魂が宿っているという解釈をしてもよいでしょか?
ソンタルジャ: チベット文化を理解する人はそう解釈するかもしれません。
◆妻のウォマが頭にのせている飾り布が気になったのですが、これはギャロン特有のものでしょうか?
ヨンジョンジャ: ギャロンの女性は16歳で成人式を行いますが、その時にチベット人のような細かい三つ編みを編み、映画に出てくるような大人の女性用の布飾りを用意して身につけるのです。この飾り布には刺繍をほどこされ、広げるとテーブルクロスくらいの大きさがありますが、使う時は折りたたんで頭にのせます。日よけにもなります。
この髪飾りについては、西南民族大学のツァンラ・ンガワン教授が、ギャロンの髪飾りは西チベットのンガリからもたらされたものだと指摘しています。ンガリは寒い地域なので、後ろにも長く垂らした形ですが、ギャロンは温暖な地域なので、だんだん後ろが短くなり、今の形になったと言われています。
◆ウォマが亡くなった時に、顔にこの飾り布をかけていますが、そういった使い方もあるのですか?
ヨンジョンジャ: 本来は白い布を顔にかけるものなのですが、巡礼の途中で適切な布がなかったので、代わりに使ったという設定です。
◆これまでギャロンについて深く知る機会がなかったのですが、この映画をみて、チベットとギャロンという地域が別々なものでなく、深くつながっていることを感じました。そして、言葉も、ギャロン語の響きも、さきほどチベット語と共通した単語も結構あるという話をされていましたけれども、響きに関しても共通したものを感じられてすごくよかったなと思いました。
ソンタルジャ: とくに言語を研究する人にとってもギャロン語というのは非常に重要な研究対象になると思います。たとえば、つづり字の前置字や母音記号、後置字はラサでは個別に発音に反映されないことが多いですが、ギャロン語では個別に反映された発音を保っています。
ヨンジョンジャ: たとえば「四姑娘(山)」はギャロン語では、[ʂkəbla] (チベット語のつづり字ではsku bla)と発音します。
ソンタルジャ: ギャロン語では各文字要素の発音が省略されずに全て発音されるのです。それに対してラサでは [ʂkə] ではなく [ku] のように省略して発音されるのです。
◆ヨンジョンジャさんは、ギャロンのトゥジェチェンボ寺の周辺(観音廟)のご出身、妻役のニマソンソンは四姑娘の出身だそうですが、お二人のギャロン語の発音には違いがありますか?
ソンタルジャ: ギャロン語は谷ごとにかなり方言が違うのです。最初にこの映画をとろうとした時、どの方言をギャロンの標準語とするか検討し、大学の先生とも相談したうえで、ソモ (so mang 梭磨) の言葉を標準語として設定することにしました。この先生に方言の指南役をお願いして、私のそばに座ってもらい、ヨンジョンジャやニマソンソンの言葉を標準ギャロン語に修正するという指導をしてもらいました。ちなみにギャロン出身で専門に演技を勉強したことがある女優はニマソンソンただひとりです。
◆ギャロンの人々はアムド・チベット語などのチベット語も話せるのですか。
ソンタルジャ: いいえ、ギャロン語だけです。彼らがギャロン語を話し続けているのには理由があります。1949年に東チベット各地にチベット語を教える学校がつくられたのですが、ギャロン地域には建てられなかったのです。学校ができていれば、言葉も統一されていたでしょうね。
◆ヨンジョンジャさんは歌手活動の他、舞台や映画のプロデュースなどをされていますが、最近は主にどのような活動をされていますか?
ヨンジョンジャ: 最近では、ギャロンの四姑娘にギャロンの民俗村(テーマパーク)をつくろうという活動をおこなっています。その民族村にギャロンの文化色のある商店街やホテル、ギャロン特有の歌や踊りを楽しめる劇場や文化博物館、そして、この映画を専門に上映する映画館をつくるという計画です。この地域を訪れた人にギャロンの食べ物を食べ、ギャロンの建物を見学し、ギャロンの文化を体験してもらいたいのです。
◆ソンタルジャ監督の次回作について教えてください。
ソンタルジャ: 次回作はすでに撮り終えています。編集も終わり、あとは音楽をつけるだけという段階です。
タイトルは『ラモとカベ』、ラモという女性とカベという男性がおりなす結婚と離婚をテーマとした物語です。そして、宗教や家庭のルールなども絡んできます。チベットの英雄叙事詩ケサル王物語のエピソードとも関係があります。
ラモは女優としてケサル王物語に登場する有名な悪女アタク・ラモを演じつつ、実際の結婚生活の中ではよき妻であろうとします。現実世界と劇中の世界が混じり合い、一人の人間の中でふたつの女性が混じり合う、その相剋を描いた作品です。
これはまた女性が結婚を通して、自分自身をみつけていくという物語でもあります。結婚のための結婚ではなく、自分の人生を選び取り、結婚するのです。
一方、夫のカベは実は4年前に結婚証明書をとって正式に結婚していました。でもこれは、形式だけの結婚で、二人のあいだに愛情もありませでした。歳月がすぎて本当に好きな女性が現れたので、相手の女性に離婚証明書にサインをしてもらおうと探し出してみると、相手は尼さんになっていたのです。尼さんになっている人が離婚証明書にサインをできないでしょう。彼女がなぜ、尼さんになったのか、登場人物それぞれの背景の物語を描いています。
◆今回は俳優はどなたをキャスティングされましたか?
ソンタルジャ: ソナム・ニマとデキです。
◆ペマ・ツェテンの映画『五色の矢』にも出演していた美男美女の二人ですね。二人とも出身はカムですよね。
ソンタルジャ: カムです。またソナム・ニマはカム地方のタウ(道孚)の人です。タウにもまた独特の方言があります。私は吹き替えが好きではないので、この映画のために二人ともアムドのバルゾンに来てもらってアムド・チベット語の特訓を毎日受けて勉強してもらいました。とてもうまくなりました。だから吹き替えではありません。ソナム・ニマはアムド・チベット語の練習のしすぎで、ある日など、舌が痛いと言うほどでしたよ。
◆ありがとうございました。『巡礼の約束』につづいて次回作も日本で公開されますように!
ソンタルジャ(松太加)1973年生まれ。青海省出身。映画監督。ペマ・ツェテン監督とともにチベット映画の第一世代として世界的に注目を集めている。これまでの監督作品として、『陽に灼けた道』、『草原の河』。
ヨンジョンジャ(容中爾甲)1969年生まれ。四川省出身。歌手。2017年に発表したアルバム『天唱・ツァンヤンギャムツォ』で第28回台湾伝芸金曲賞「最優秀跨界音楽アルバム賞」、またアメリカのグローバル・ミュージック・アワードで銀賞を受賞。
2020年1月25日公開のSERNYAブログに掲載されたテキストを転載したものです。同タイトルの記事はSERNYA vol. 7にも掲載されています。
その後、次回作は『ラモとガベ』というタイトルで、2021年3月から岩波ホールを皮切りに、全国各地で開催された「映画で見る現代チベット」という特集上映企画の中で上映されました。