SERNYA
menu

金魚 セルニャ は夜泳ぐ
ペマ・ツェテン企画顛末記

星泉

2011年の秋にペマ・ツェテンの映画と小説に出会って以来、温めてきた企画がついに実現する! 邦訳刊行と映画上映、そして雑誌創刊。この三つを同時に実現させたチーム・セルニャの舞台裏を紹介する。

ユニークな作家たちを紹介したい!

2012年11月、トンドゥプジャの邦訳作品集『チベット現代文学の曙ここにも躍動する生きた心臓がある』を上梓したわれわれチベット文学研究会は、その熱気を帯びたまま、年末にかけて東京外国語大学オープンアカデミーの連続公開講座「チベット現代文学の世界へようこそ」の教壇に立った。この講義では、トンドゥプジャに加えて、タクブンジャやツェラン・トンドゥプ、そしてペマ・ツェテンやキャプチェン・デトル、ナクツァン・ヌロといった現在活躍中の実力派の作家たちについて、研究会のメンバーが順にその生い立ちや作品を紹介していったわけだが、どれも非常に面白く、わくわくする内容だった。それとともに、こうした優れた作家や作品をもっともっと翻訳して紹介していきたいという思いが高まって熱くなり、「よし、次はタクブンジャやペマ・ツェテンの作品集を出そう、チベット文学の雑誌も作りたいね、長編小説は連載にしよう!」などと語り合って盛り上がったのだった。

公開講座の手作りフライヤー
公開講座の手作りフライヤー

年が明けて2013年になっても、われわれの熱は冷めることはなかった。折しも1月から2月にかけて、メンバーのうちの3人 (海老原、三浦、私) がアムドに調査旅行に出かけることになった。この機会を逃す手はない。何とか都合をつけてタクブンジャやツェラン・トンドゥプ、ナクツァン・ヌロ、ペマ・ツェテンら作家のみなさんに会っていただき、インタビューも敢行した。ペマ・ツェテンとはこのとき掲載作品の打ち合わせまでしたので、後には引けなくなった。

その後ふっと思い浮かんだことがあった。ペマ・ツェテンは著名な映画監督でもある。作品集を出版するなら映画も上映してはどうだろうか? そうすれば日本の人々に文学作品と映像を通じてチベット文化の多様な姿を知っていただくことができるはず……。そう思ったら、居ても立ってもいられず、早速動き出した。

ペマ・ツェテン企画が始動

まずはプロジェクトを立ち上げた。2013年度の春からスタートした、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の新規の大型プロジェクト「言語の動態と多様性に関する国際研究ネットワークの新展開 (LingDy2)」のサブプロジェクトとして提案した「文学や映画等を通じた生きたチベット語の記録・保存プロジェクト」である。プロジェクトの概要を少し紹介しておこう。現在、チベットではチベット語の教育機会が劇的に減少しており、現地の人々はチベットの言語・文化の継承に対して深刻な危機感を抱いている。このような状況下で、現地では草の根の母語教育活動や、文学や映画等による啓蒙活動等の真剣な取り組みが行われている。今回のプロジェクトは、特に後者の活動に焦点を当て、このような現地の取り組みを後方支援し、日本での理解を促進し、そうした活動に学術的な価値を付与するために構想したものである。具体的には小説テキストや映画シナリオなどの言語資料の蓄積や翻訳を通じて研究資料として活用できるようにし、それらをもとに教材を開発する。そして言語・文化の多様性の理解促進のために翻訳テキストを出版し、映画に日本語字幕をつけて上映する、といった活動を行う。

こうした大きな枠組みのもとで、ペマ・ツェテン企画が走り出したのである。

小説と映画の翻訳は似て非なるもの

ティメー・クンデンを探して
ペマ・ツェテン『ティメー・クンデンを探して』(勉誠出版)

まず、作品集に掲載する小説のうち、漢語版は大川が翻訳を担当することになり、すぐに取りかかってもらった。映画を上映する計画が持ち上がったので、後から小説版の「ティメー・クンデンを探して」もぜひ訳してほしいと忙しい大川に無理を言って引き受けてもらった。チベット語版は連続公開講座のペマ・ツェテンの回にあわせて私が翻訳を済ませ、テキストとして配布したこともあり、粗訳はできていた。あとは翻訳の精度を上げることが課題だった。出版はトンドゥプジャの作品集と同じ勉誠出版が引き受けてくれた。

映画については、ペマ・ツェテン監督からの上映許可はすぐにいただくことができたが、日本語字幕版のない「静かなるマニ石」と「ティメー・クンデンを探して」の2作品についてはわれわれの手で字幕を制作しなければならなかった。字幕制作はまったくの素人なので、「オールド・ドッグ」の字幕を担当された樋口裕子さんに相談に乗っていただいた。樋口さんには貴重なアドバイスをいただいただけでなく、われわれの取り組みを評価していただき、大変勇気づけられた。実は「小さくてもいいからチベットの映画祭をやったらどう?」と最初に勧めてくださったのは樋口さんなのだ。そして樋口さんのご紹介で、アテネ・フランセ文化センター制作室の堀三郎さんと大久保美枝さんと知り合い、大学にもお越しいただいた。そしてお二人のご専門の立場から、「映画上映とは何か、映画字幕とは何か」といったテーマで3時間におよぶ講義をしていただいた。なかなか知る機会のない映画制作の舞台裏を教えていただく貴重な時間だった。堀さんは上映する場合の細々したことまで教えてくださり、上映場所である映画美学校試写室の予約もしてくださった。

ペマ・ツェテン映画祭フライヤー
ペマ・ツェテン映画祭フライヤー

それから闘いの日々が始まった。まずはペマ・ツェテン監督の傍でいつもシナリオの仕事をしているツェラン・トンドゥプさん (上述の作家とは別の方) からチベット語、中国語、英語のシナリオを送ってもらった (チベット文字が文字コードの関係で文字化けしていて変換するのが一苦労だった!)。それらを参考にしつつ、を見て音声を聞き取りながら、台詞の全訳を作る (やってみて分かったが、シナリオと台詞は案外違っている)。普通の字幕制作では全訳を作ったりはしないだろうが、研究資料にするのでプロジェクトにとっては何としても必要である。この作業は大川をのぞく3人 (海老原、三浦と私) で担当した。全訳が完成したら、大久保さんとやりとりをしながら字幕原稿を作っていった。大久保さんは数々の映画祭で上映される映画の字幕制作を同時に何本も手がけておられるので大変お忙しいのだが、素人の私たちを手取り足取りやさしく導いてくださって本当にありがたかった。「静かなるマニ石」は海老原と三浦と私の3人で分担して全訳し、私が字幕原稿を作成した。「ティメー・クンデンを探して」は海老原が全訳を担当、三浦が字幕原稿を作成した。

映画は「静かなるマニ石」が35ミリフィルム、「ティメー・クンデンを探して」がHDCAMで、いずれも日本にはないので取り寄せなければならない。監督と協議のうえ、ニューヨークにあるラツェ・チベット文化図書館に保管されている英語字幕版をお借りすることになった。貴重なフィルムとテープを貸してくださった図書館に心から感謝したい。東京フィルメックス事務局には日本語字幕版「オールド・ドッグ」を貸していただいた。ここに記して感謝申し上げる。同時に、研究所の主催で映画上映をするために様々な事務的な関門をクリアする必要があった。初めての試みでもあり、大学の事務方のみなさんを大いに煩わせることになったが、全面的に協力してくださり、大変ありがたかった。

雑誌作りまで始まった

セルニャ創刊号
セルニャ創刊号 装画は蔵西さん

こうして同時進行で進めているうちに、雑誌作りへの思いがふつふつと沸き上がってきた。もうこうなったらやるしかないと腹をくくり、チベットの文学と映画の魅力を伝える雑誌を作ることにした。名前は研究会の愛称「東方金魚 シャルチョク・セルニャ 」からとって『セルニャ』とした。

この春からフル回転でやってきたチーム・セルニャことチベット文学研究会であったが、雑誌作りが新たに加わることになり、現場はさらにものすごいことになった。毎週木曜日の夜10時からきっかり2時間、Skypeを使って実施している翻訳会も、徐々に雑誌の編集会議の割合が増えてきた。折角雑誌を作るのだからと考えをふくらませているうちに様々なアイディアがわき、あれもこれもと企画が林立した。興奮をおぼえつつも、本当は心配で少し青ざめていたことを告白しておこう。そんなわれわれを支えてくれたのが、Twitterで親しくさせていただいている (でもまだお目にかかったことのない) デザイナーのAさんである。『セルニャ』の編集デザインを全面的に担当してくださったうえ、内容面でも様々なアドバイスを出してくださってありがたかった。同じくTwitterで親しくさせていただいているイラストレーターで漫画家の蔵西さんには、表紙の装丁画とイラストによる映画解説のページを担当していただいた。蔵西さんとはいずれ雑誌を作るときにはご一緒しましょうと語り合っていたので、こうして一緒に実現できたことを嬉しく思っている。

他にも、海老原が企画・担当した「私の一行」にはわれわれの研究仲間であるチベット研究者のみなさんが参加してくださった。普段から親しんでいるチベット文学を個性たっぷりにご紹介くださり、本誌を彩ってくれている。

本誌では今後チベットで活躍する作家たちを様々な形で紹介していきたいと考えている。今回は小説と詩を数篇翻訳して紹介した他、日本文学を愛好するチベットの作家や留学生にも寄稿していただいた。チベットの人たちにも、日本からの熱いまなざしを届けたいし、日本の人たちにもチベットのことをもっともっと知ってほしい。本誌を文学や映画を通じたゆるやかでオープンな交流の場としていくことができたらと思う。

* * *

こうしてペマ・ツェテン企画の経緯を振り返ってみると、われわれチーム・セルニャもよく根気が続いたと思う。なんといっても作品の魅力が一番であり、それが最も読者のみなさんにお伝えしたいことであるが、われわれ自身は、今生きて活躍している作家とつきあうことのわくわく感に支えられていたと思う。実際、この企画を実現させるために数えきれないほどメールでやりとりをし、現地でも何度も打ち合わせをしたが、そのこと自体が楽しくてたまらなかった。

そしてもうひとつ、忘れてはならないのが木曜夜のセルニャ・ナイトである。10時になったら集合し、軽いジャブを交わし合いながら徐々に翻訳の検討に入っていくチーム・セルニャ。チベットの現代文学の「いま」をともに味わうことのできる仲間の存在は本当に大きいのだ。

西方 (チベット) の金魚が泳ぎ続けるかぎり、東方 (日本) の金魚も泳ぎ続けるだろう。

本エッセイについて

SERNYA vol.1 (2013年12月刊行) 掲載の同タイトルのテキストに写真と注釈を加えて転載したものです。
north